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デジタル化と書道。表札や石碑の書体や揮毫。

休日、読書が捗ったことは喜ばしい。多少の居眠りも挟みつつ、長い時間椅子に座って静かに読み進めることができた。静穏な時間であった。

滞留し続けている未読の本の山は、ネガティブには考えまい。読書計画を立てるよりも、計画を立てる時間から読書に充てる方が早い。1冊の本を読めば、次に読むべき本は自然に定まるものである。

いずれは世界文学全集を通読したいと思うが、もちろん日本文学全集が先であろう。できれば世界文学に進む前に、日本文学全集は2周したい。特に、2周目は自分も何か小説を書くつもりで、文体や格調を意識して読みたいものだ。現在の進捗の遅さを考えると、ずいぶんと気の長い話になりそうだが、誰かが人生100年時代などともいっていたので、不可能でもないことと思う。

「全集」を敢えて買う人はそれほど多くないと思うが、しばしば全集の刊行について耳にするのは、やはり需要があるのだろう。私は「全集」こそ図書館で利用したいと思っているが、全集を買いたいと思うほどに強い興味をもてる対象があれば、それはそれで面白いであろうと思う。
全集といえば、次回は図書館で書道全集を少し閲覧してみたい。

そういえば、現代の中国で書道はどういう位置づけなのだろうか。その前に、日本でもデジタル化の流れの中で書道はどういう位置づけになっていくのであろうか。
ある名所で、その土地の「名士」の揮毫が石碑の題字にされているのだが、あまりに下手な文字で、税金の無駄を思わせるものがある。官庁の表札でも、センスのないものがある。その点、ニュースなどで目にする中国の表札や看板の漢字は、見慣れない簡体字もあるが、それなりに書法にこだわった書き方のものがみられる。
デザインとしての書道の需要は当面存続すると思うが、その良さが理解される前提となる文字に対する美的感覚は、おそらく確実に衰退し続けているのではないかと思う。

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