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「漫然」は悪い言葉か。

自分を許す、ということはどういうことだろうか。
不必要に自分を苦しめていないかと、今日の午後ふと気づくことがあった。「分ければ資源、混ぜればゴミ」という標語があるが、感情や思考もむやみに混ぜてしまうべきものではなく、分けるべきものは分けて考えるべきだろう。分別、とは言いえて妙な言葉である。冷静さよりも、私は分別が必要なのかもしれない。

「自分へのご褒美」などという謂いが私は好きではない。このような考えが有効な人もいるのだろうが、私には無効である。「自分への罰」という考え方も、私には機能しないだろう。もしかしたら、いろいろなことを白々しいと冷めた目で眺めてしまっているのかもしれない。成すべきことを成すのは、メリットがあるからであり、そのメリットに褒美を追加することの意義は、実際のところどれほどのものか。

漫然とテレビを見る、というのは実は非常に良いことなのではないかと思う。たまには、といった程度でのことであるが、実はよい気分転換になっているのではないかと思う。漫然としたネットよりも、漫然としたテレビの方がよいとまでは言えないが、ネットとテレビの割合には、黄金比的な割合があるかもしれない。おそらく、テレビが0%ということはないだろう。
2時間モノのドラマを見る習慣はないが、録画した映画くらいはあえて観られるようスケジュール調整したいものでもある。月に2~3回くらいは。


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