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大好きなものとの「絆」を失わせた「英雄」は、大人になった僕に「諦めない」ことの大切さをくれた

*この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。

 「トラウマ」。それは誰しも一度は感じたことのある苦い思い出。ふとした拍子にセーブデータがすべて消えたり、推していたキャラが残虐な殺され方をして衝撃を受けたり。そのレベルは様々だと思います。特に幼少期に感じた恐怖・トラウマは、大人の時に感じるそれよりも色濃く、強く残るものです。でも、そのトラウマの先に、

見たことのない綺麗な景色が待っているとしたら?

かけがえのない何かがあるとすれば?

 今回は、かなり毛色を変えて、僕の大切なもの「ウルトラマン」にまつわるお話をまとめてみます。よろしくお願いします。


第一章 僕とウルトラマン

 僕は、生まれてからずっとウルトラマンが好きだった。物心ついた時から、家にあるビデオを見たり、ソフビをぶつけあったりして遊ぶなど、とにかくウルトラマン尽くしの幼少期だった。写真はほとんどウルトラマンのポーズで写っているし、身に着けるもののどこかにはウルトラマンがついていたと母が話していたことからも、典型的なヒーロー大好きっ子であった。

 そんな僕とウルトラマンの、リアルタイムでの「ファーストコンタクト」は、2001年に放映された「ウルトラマンコスモス」であった。怪獣を倒すのではなく共存していく姿勢、OPの歌詞にもあるような「力で勝つだけじゃ何かが足りない」といった非交戦的なテーマを幼心に感じていたのか、その優しさと強さあふれる姿に虜になっていったのである。

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「ウルトラマンってかっこいい!!」

「僕もウルトラマンみたいに、優しく強い存在になりたい!」

 そんな思いでいっぱいだった。このウルトラマンコスモスは非常に人気で、純粋なウルトラシリーズでは最長の65話、劇場版は番外編含め4作作られているなど、非常に愛されていた作品であることがわかる。最後の劇場版(2003年)を見終わったあと、僕は

「コスモスとお別れするの、寂しいよぉ~~」

という気持ちでいっぱいで、泣いていたらしい(覚えていない)。
 そんな僕は、ある衝撃的な事実を知る。

「来年(2004年)に、また新しいウルトラマンがやるの!?」

僕はこの情報に歓喜し、毎週土曜日の朝を楽しみに待つ日々を想像し、ワクワクが止まらなかった。
 しかし、ブラウン管の前に現れたその「英雄」は、ワクワクした気持ちを打ち破り、僕の期待を粉々に粉砕してしまったのだ。何を隠そう、僕が見た作品とは

「ウルトラマンネクサス」だったのである。

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第二章 『N』の衝撃

 僕が受けた衝撃を紹介する前に、「ウルトラマンネクサス」の事を知らない人たちのために、簡単に紹介を引用する。まずこちらを見てほしい。

 要約すると、「対象年齢高めの、重厚なウルトラマン」を目指し、作られた骨太なウルトラマンという事である。しかし、これは僕の目にはこのように映ってしまったのである(以下ネタバレを多量に含みます。注意!)。





➀とにかく暗く、爽快感がない

 大人向けを謳った作品であるがゆえに、今までとは打って変わってシリアスな展開が多いと感じていた。具体的には

・敵が容赦なく人を捕食する。というかそのためにしか出てこない。
・序盤の主人公(孤門 一輝)は状況に巻き込まれ弱気であるため、魅力的に見えない。
・怪獣(スペースビースト)が不気味で気持ち悪い。

・ウルトラマンの出番が極端に少ない話もあり、1回のお話で確実に敵を倒すわけではない

 といった具合である。そして自分が一番「見たくない・・・」と思ってしまった要因が、

「主人公の心の支えだった彼女が、主人公と初めて会ったその日に実は死んでおり、操り人形として闇の巨人になっていた」

という事実が明らかになった時である。これは彼女が突如失踪し、彼女の家に主人公が初めて行ったときにわかるのだが、その描写があまりにもえげつない。インパクトを重視するため気になる人は見てほしいが、おどろおどろしい怪物や人間の絵が、部屋一面にびっしりと(床まで!!)貼ってある状態で主人公が絶叫するのである。これを見て子供たちは恐怖を植え付けられたに違いない。

 これだけでも十分怖いが、さらに恐ろしい展開が待っている。
・彼女は救われることなく死んでしまうだけでなく、その死を引きずるあまり、彼女を操っていた狡猾な黒幕によって主人公が闇落ちする。
・一時は立ち直ったものの、自分が関わった親子(両親と兄妹)がビーストによって惨殺させられ、両親が怪獣に操られて子供を襲う。

・元凶となる怪獣に、上記の子供が捉われていることを知らず、重傷を負わせてしまったせいで、激しく非難されてしまう。
・自暴自棄になり、主人公が一時失踪してしまう。

これが毎週土曜日朝7時半に、連続して起こったのである。書いているだけでもきついのに、子供たちが耐えられるであろうか?無理である。
 このように、見ている子供たちの希望を次々にへし折る展開がなされており、それに例外なく自分の希望やあこがれも粉砕されたのである。

②違和感しかない

 この作品は、今までのウルトラマンの「お約束」がことごとく排除されている。例えば

・主人公=ウルトラマンではない。
・ウルトラマンは光を受け継いだ「適応者(デュナミスト)」と呼ばれる存在である。従ってウルトラマンに変身する人は移り変わる。
・防衛隊は秘密裏に活躍する存在であり、軍隊的側面が強い。
・ウルトラマンの変身者は、いずれも防衛隊に所属するものではない。
・一話でお話が完結しない。このため、一度話を見逃すと、理解が追い付かない。

といった具合である。これだけでも子供たちがとっつきにくい上に、前述のようにこの作品は大ヒット作「コスモス」の次の作品であったことも災いしている。怪獣との共存、優しさを強く主張しているハートフルな作風の後に、このようなハードで難解な作品を見せられて、子供たちは受け入れられるだろうか?少なくとも幼少期の僕には無理であった。

「暗い」
「おはなしが、むずかしい」
「見ていて面白くない」
そんな思いでいっぱいだった僕は、いつしかネクサスを見なくなっていた。
僕とウルトラマンとの間で、少なくともウルトラマンネクサスとの間には、「絆」を結ぶことはできなかった。幼い自分にとっては・・・・

第三章  大人になった僕と『N』

 そんな僕だったが、ネクサスが終わった後の「ウルトラマンマックス」からはまた食い入るように見ていた。ゴモラやレッドキング、バルタン星人やエレキングなど、往年の人気怪獣が登場するという原点回帰の展開に、喚起しながら見ていた。その後の作品も見ていきながら、僕は「大人」になっていた。

 しかし、成長する僕の心のどこかに「ネクサス」はいた。自分が途中で見るのをやめてしまったあの作品は、どのような終わり方をしたんだろう。もう一度最初から見てみたい。そう長年感じていた。そんなこともあって、今年のGWに、Amazonプライムビデオで一気に見ることにした。

 確かに、ネクサスは暗かった。前述の中盤は、大人になった自分でも「つらい・・・」とついつぶやいてしまうような内容で、正直苦しかった。しかし、自分は最後まで見続けることが出来た。なんなら、20話くらいからはすごく楽しんで見ることが出来た。なぜだったのか?

それは、どんな絶望の中でも諦めない、「儚くも強い意思」を感じたからである。

 前述のように、今作ではウルトラマンは光が受け継がれることで別の人が変身するようになる。前半では姫矢 准というという青年が変身し、後半では千樹 憐という少年が変身する。お話の中ではこの両者ともに、苦悶しながら戦っているのだ。
 姫矢は元々カメラマンだったが、社会の悪を暴くうちに人間不信となり、自分を追い詰めるために戦場に赴くようになる。そんな中撮影に赴いた地で親しくなった少女が目の前で死に、奇しくもその写真が認められてしまうという悲しい過去を背負っていた。そんな過去を背負っているため、自責の念をこめ、罪滅ぼしとして自分の消耗も顧みず人々の平和のために戦っていった。その無理が祟ってしまい、敵に捕らわれ世界を闇で覆うための依り代とさせられてしまう。しかし、回想の中で少女と対話し、自分の罪悪感が間違いである事、自分に課せられた力は誰かを守るためにある事をようやく理解し、再び立ち上がったのである。そして復活し、因縁の相手を倒し闇を封じるために、主人公の前から姿を消すのである。「光は絆だ。誰かに受け継がれて、再び輝く」という言葉と、決して見せることのなかった笑顔を見せて・・・・・

 続いて登場したは、遊園地で住み込みのバイトをしながら働く17歳の少年である。明るく人懐っこい性格だが、彼もまた暗い過去を背負っていた。は優秀なDNAを掛け合わせて生まれた「プロメテの子」という天才児だったが、遺伝子の異常のために余命僅かとなっていた。特効薬の開発も間に合う気配がなく、治らない自分のために他人の人生を巻き込みたくないと考え、失踪し遊園地で働いていたのである。
 そんな過去を持つ憐は、自分の命に対して投げやりになっていた。どうせ助からない、そう考え自棄的な考えを持ちながら、同じく自己犠牲的な戦い方をしていた。しかし主人公(孤門)をはじめとした、仲間たちとの交流によって、「たとえ『死』という現実が待っていても、自分が生きていた時間や思い出は消えることはない」という思いを持ち、満足に動けなくなりながらも必死に生きる事を選択する。そして満身創痍になりながらも「俺は生きる。生きて、この光を繋ぐ!」と決心し、最強の敵に勝利するのである。

 暗い過去、どうしようもできない現実。そういった重たいバックボーンを背負いながらも、誰かを守るために必死で戦う。その姿、苦しい状況でも諦めず、最後まで心に「光」をともし続けながら戦う姿勢に、僕は心打たれた。
 愚直さ、ひたむきさ、まっすぐさ。生きているとともすれば忘れてしまうこれらの必要性を思い出させてくれた。

 同時に感じたのが、主人公である孤門 一輝の成長の著しさである。孤門は当初防衛組織の方針や姿勢に反りが合わず、疑念や葛藤を抱いていた。そんな状況の中、前述の恋人との凄惨な別れを経験し、自分の心の闇に付け入られ絶望の底に陥ってしまうのである。しかし姫矢の尽力で「過去は変えられない。今を生きていくのだ」と気づき、闇を振り払い大きく成長するのである。その後は姫矢が復活するための重要な役目を担ったり、余命僅かで自暴自棄になる憐を支えたりするなど、心強い活躍が目立つ。
 人間はみんな強い人ではない。誰しも心の中に「光」と「闇」を抱えている。孤門は一度闇に囚われ、自分を見失ってしまった。しかしウルトラマンに出会ったことで、「光」に導かれ精神的に成長し、自分自身が「光」を導く存在になっていったのである。そして最後には、自分自身が「光」になり、人々を絶望の闇から救ったのである。この表現が何を意味しているか、結末は自分の目で確かめてほしい。


 

最終章 「諦めるな」

 この作品を見終えて1つ感じたことがある。
この作品は、「最後まで諦めず光を持ち続けろ」という強いメッセージを、見る者に、苦しい展開を通して伝えたかったのだと思う。最後まで「見ること」を諦めなかった人のみが、諦めないことの大切さを学べる、そんな番組であったと思う。
これから先、生きていく上で苦しくなるような困難に直面するかもしれない。現実から目を背けたくなるような辛い状況に陥るかもしれない。でもそんな時でも、「諦めるな」と心に誓い、光を掴んでいきたい。

 全37話を見終わった時、僕の心の中はとても満足していた。それと同時に、ある一言が心の中に浮かんでいた。

「諦めるな」

僕はこの作品を見ることが出来て本当によかった。

 

ウルトラマンネクサスは、見ている側を「英雄」にさせる、最も「ウルトラマンらしくなく」、「最もウルトラマンらしい」作品である。


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