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秘密の離婚と夫婦ごっこ

実は私にも「結婚」に憧れていた頃があった。


好きな人と毎日一緒にいられるなんて、こんな夢みたいな事が、早く叶うと良いな~と夢見ていた、表の気持ちと・・・



頑固で保守的で、口うるさい父と、いつも泣いてばかりの母から逃げたいという裏の気持ち。この2つの事から、私は「結婚」に憧れていた。



でも、残念ながら私の現実は、憧れと違っていた。



結婚する事で、父の口うるさい攻撃は無くなったが、それ以上に、私は長男の嫁としての務めと、妻として、母親としての務めが、大きな壁となっていた。



好きな人と自由に生きる為の結婚・・・そんな事はなかった。



行事ごとに両家や親せきが集まり、毎日のように義母と義父が、孫の顔を見に来る。その度、手作りの栄養バランスを考えた食事を作り、部屋をピカピカに掃除、後片付け、、子どもの世話・・・



夫のお弁当作り、身の回りの世話・・・まるでお手伝いさんだった。



当時の私には「自分次第で、人生は変わる」なんていうマインドは無かったから、ただ、ただ、毎日苦しいだけだった。



そこから逃げたくて、最初の結婚は解消した。その後、夫は他界してしまった。



しかし、凝りもせず私は、2回目の結婚をしていた。なるべくたくさんの時間子供と過ごす為だった。



2番目の夫は、とても良い人だ。非の打ちどころがない。それでも、私は離婚を決意していた・・・なぜなら・・・婚姻を続ける理由が無かったからだ・・・


今までのお話はコチラ↓↓


第2話 第4章 秘密の離婚と夫婦ごっこ 

離婚はしない

2番めの夫、次郎さんが単身赴任をして半年ほどたっていた。


私は、相変わらず変わらない次郎さんに、この先の人生を託す気持ちがドンドン減っていっていた。



具体的に次郎さんのどこが嫌なのか・・・というのは無かった。



ただ、愛していなかった。



そして、あえて言うなら、次郎さんからの愛情も、あまり感じる事は無かった。



会えば優しいし、夫婦の営みもあったけど、何故だか、人形と一緒にいるような感覚がいつもあった。




次郎さん自身、複雑な家庭環境で育ったと言っていたので、自分の気持ちの表現が上手では無かったのかもしれないが、それでも「愛されているな~」という感動は一度も無かった。




そんな気持ちの中、半年ぶりに自宅に戻った次郎さんに、突然「別れて欲しい」と切り出した。



自分でもちょっと急だったかな?と思ったけど、子ども達がいない良いタイミングだったので、想いを伝えた。



次郎さんは最初は驚いた顔をしていたけど、急に笑い出し、なに冗談言ってんの?という態度だった。



私は間髪入れずに、離婚届けを渡した。



すると急に次郎さんの顔つきが変わった。


なに?本気で言ってるの?理由は?


私は用意していた言葉を、そのまま伝えた。


私は次郎さんの事、愛してないと思う。もし、三女ちゃんが生まれなかったら、私は子供の事を面倒見てくれた次郎さんに申し訳なくて、離婚するって言えなかったかもしれない。


でも、次郎さんの子供である三女も、私は育てた。だから、おあいこだよね?


今思えば、とんでもない理屈だ(笑) 



何がおあいこなのか、もはや分からないが、なさぬ仲の娘を可愛がってくれた事に関しては、感謝していて、逆にそれが、私の足かせになっている事を伝えたかったのだ。



次郎さんはしばらく目をつむって、天井に顔を向けていた。



離婚してくれる?と私が訪ねると・・・



きっぱりと一言だけ言った。「するワケないだろ」



沈黙のまま時が流れた。


契約のない関係


離婚の話は、その後の自宅滞在時間に、話す事は無かった。しかし、私は何度も単身赴任先の次郎さんに連絡をし、離婚届けも送って、離婚を催促した。



次郎さんの答えは、いつも同じ「ちゃんとした理由がないのに、離婚なんかできないよ」だった。



そんなやり取りが半年ほど続いた。



このままでは、絶対に離婚してもらえない。



当時、好きな人がいたワケでもないのに、何でそんなに離婚したかったのか?今となっては、思い出せないけれど、私にとって「婚姻関係」という契約が、どうにも苦しかった。



そこで、私は次郎さんに1つの提案をしてみた。


籍だけ抜いて欲しい。私は今まで何度も苗字が変わってるし、上二人の娘たちも、幼い時から何度も苗字が変わって申し訳ない。だから、名前は変えない。私との婚姻関係だけ解消して欲しい。


更に続けた。


他の家族には、この事は秘密にして、今まで通り、長期休暇の時は、この家に帰って来てくれていいし(寝室は別にして欲しいけど)今と、ほとんど変わらない生活で構わないから…


次郎さんはそれでも黙っていたので、更に続けた


私、次郎さんの妻であるって言う、社会的な契約がとっても苦しいんだよ。これって、お義母さんの義理の娘で、義弟の義理の姉っていう契約でもあるんだよね?


私は、私だけの戸籍でいいの、それが良いの・・・



なんの説得力もない理由だったが、その日、初めて次郎さんは前向きな言葉をかけてくれた。



分かった考えておく



その数週間後、次郎さんから離婚届けが届いた。私は、自分の曇っていた心がパァ~っと晴れていくを感じていた。


約2年の偽り夫婦


離婚届けを出してからも、次郎さんは単身赴任が続いていた為、私たちは離婚などしていないような、生活を送っていた。



表向き、何も変わっていないのに、何のために離婚届けを出したのかを、理解できない人も多いかもしれない。



それに、我が家のマイホームの名義は、建て替えた時に、次郎さんに変更しいていて、もし次郎さんに「出て行ってくれ」と言われたら、法的に逆らえない。



籍を抜いて、良い事など、私には一切無いように見えると思う。



でも、私はとても幸せで、心が軽くなっていた。今まで出来なかった事が、なんでも出来るような錯覚さえあった。



私は今まで、子供たち中心の生活を、自分で選んで生きてきたが、次郎さんと離婚する事で、自分のやってみたい仕事にも挑戦したい気分だった。



土日祝日が休みでない仕事



キラキラのドレスを、花嫁さんに選んであげる素敵なお仕事、ドレススタイリストになる為に、学校に通った。40歳過ぎてからの挑戦だったが、無事就職も出来た。




娘程の若い女の子が上司だったが、私はそんな事は一切気になら無かった。




同居している父親には「母親が、子供の休みの日に仕事なんて、何やってるんだ」と言われたが、


次郎さんが、良いって言ってるんだから、大きなお世話だよ。私は「次郎家」の人間なんだから。


と、言い返せば、「家長のいう事は絶対」の頭の固い父は、何も言い返せない。



離婚したなんて言えば、また、色々うるさい事を言われるところだが、秘密にしている事で、メリットも多かった。



しかし、この秘密もいよいよ隠しておけなくなったのである。


単身赴任終了


3年間の単身赴任が終了し、戻ってくることになった次郎さん。



今まで、夫婦の振りを出来たのは、次郎さんが、たまにしか帰ってこない生活パターンだったからだ。



結局、どうするか帰ってくる前に2人で話し合った。



結論から言うと、離婚を告白して、別居する事になった。私は先ず、娘たちにこの事を話した。



実は、2年前に離婚していた事、上の娘たちは養子縁組を解消していた事、名前はこのまま変えずに、次郎さんの苗字を名乗る事・・・。



娘たちは、笑ってこういった。


え~!もうさ、ママのやる事ってさ、本当に変わってるよね~(笑)まあ、いいんじゃない?三女ちゃんにとって、パパはこれからもパパだし、私たちも、パパは好きだし、今までも単身赴任で家にいなかったし、あんまり変わらないよ(笑)


実際、この言葉の通り、何も変わる事は無かった(笑)そして、その後も様々な地方に転勤になった、次郎さんのお家に娘たち3人で遊びに行く事も多く、交流はずっと続いている。



問題は、私の両親と、次郎さんのお義母さんだ。



覚悟を決めて、私の両親に告白した。ところが、思いの外、あっさりしていた。


全くお前は…どうしよもない!我慢が足りないんだ!女が我慢しなくてどうする!働いているのは男なんだ!まあ、これからは、女も働かないと、家のローンもあるだろうしな、まったく・・・本当にお前は、何をしても続かないどうしようもない奴だな。


こんな事、昔から何度も言われていたので、大したことは無かったし、何より、大きくなった娘たちが私の味方をしてくれた。



父は「ジージ」になってからというもの、孫娘たちには、頭が上がらない(笑)


ジージとバーバみたいにいつも喧嘩して、マイナスオーラ放っているより、ママみたいに一人で生きて行く覚悟ができる人の方が、何倍も人生楽しいと思うよ!


な~んて孫娘に言われた日には、なにも言い返せないのだ(笑)



そして、意外にも一番の難関だったのは、次郎さんのお義母さんだった。



自慢の息子の何が気に入らなくて別れるのか、納得が行かない様子だったが、お義母さんの事は、次郎さんに全て託した。



私たちは、こうして離婚を公表し、公私ともに?他人になった。



他人になった今でも、次郎さんは優しい。私がお店を出すときも、保証人になってくれたし、自分の部下を店に沢山連れてきてくれた。



自分の本当の血を分けた三女よりも、今でも次女との方が仲良しで、マメに連絡を取り合っている。



私が夫婦としての違和感を次郎さんに感じていたのは、次郎さんは夫というより「お兄さんの様な存在」だったからだと思う。



そして、未熟だった私の事をいつも優しく見守ってくれた事を、今はとても感謝している。



この1年後・・・



私は17歳年下の彼と出会う事になるのだが、それはまた別のお話・・・

第2話 おわり


第2話をはじめから読めます↓↓


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