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001. 「ジャーナリズム論」みたいなことを謳う教科書が何言ってるのかよくわからん

もう一度だけ、ジャーナリズムについて真剣に話さないか。ジャーナリズムって何だ? 「権力を監視し、市民が自由意志に基づいた決定を下すための材料を提供する、民主主義の根幹を為すもの」だっけ? 

「権力」って何だよ。「市民」って誰だよ。自由意志、その定義をもう一回カントと話してきてくんねーかな。民主主義って、何?

今日、池袋の駅で多分ベトナム人っぽい若者に尋ねられた。「練馬高野台に行くにはこの電車でいいですか?」。つたない日本語だった。西武池袋線は、準急とか急行とか豊島園行きとかややこしいから、真剣に調べたし、伝わるように工夫して話したよ。自信をもって言える。この瞬間、俺はジャーナリズムをしていた。相手は本気で困っていたし、俺は本気で助けたかったからだ。

もっと切実なものだったはずだ。もっと生活に根ざしたものだったはずだ。「自民党の腐敗がわからないのか。我々が監視しなければこの国がダメになってしまう」と言うならば、「マイノリティが抑圧されている。このままじゃ永久に多文化共生社会は実現しない」と言うならば、そうしたお題目の先にある、「理想の社会」なるものの様相を具体的に言ってみてくれないか。

Googleを開いて「戦争」で画像検索をしてくれ。そのあとに「平和」で同じことをしてくれ。笑うぞ。鳩とかオリーブの木とか虹とかの、わけのわからねえイラストでブラウザが埋め尽くされるんだ。

イメージできないものは実現できない。「理想の社会」の一要件を平和と想定するならば、俺たちはその具体的なイメージをもっていない。ならば「権力の監視」とか「市民の自由意志への寄与」とあなた達が居丈高に語る想念が目指すものは何なんだよ。なんでそう思えるんだよ。俺は銃を2回突きつけられたが、生還して考えたことは「生きててよかった」それだけだ。

ポジショントークはもう辞めよう。もう一度だけ、ジャーナリズムについて真剣に話さないか。

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