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嫌いなものを訊いてくれる飲み屋が好き

京都の中心部、四条烏丸近辺に大好きなビアバーがある。クラフトビールブームが本格的に始まる前から常時7本のタップで国内外のクラフトビールを提供しており、京都のクラフトビール好きで知らない人はいない店かもしれない。

私がその店を知ったのは大学3回生の頃。当時の自分は日本酒派で、ビールは飲み会でなんとなく飲む程度。アサヒスーパードライと金麦の区別もよくわかっておらず、当然クラフトビールなんて洒落たもののことは知らなかった。
知人に連れられてその店を知り、ビールは苦くてのどごしだけじゃないことを教えてもらった。種類によってはグレープフルーツ味だったり、コーヒーみたいだったり、時にはミルクセーキ味だったりすることに、とても驚いた。
クラフトビールは、それぞれの造り手が個性と美味しさを追求した成果物で、奥深い表現者たちの世界なのだ。

一方で、それだけ個性のある飲み物はその分飲む人を選ぶ。
毎日カウンターに立ち、料理もすべてこなす店長の口癖は「お客さんの嫌いなものを教えてほしい」だった。フードメニューにも同じことが書いてあった。
「お金払ってもらってるのに、食べたくないもん出したくないやんか」
ぶっきらぼうに言う店長。
確かにそのとおりだ。けれど、それまでに行った飲食店で最初からそれを訊いてくる店員さんはいなかった。雰囲気や愛想ではなく、提供する飲み物と食べ物にそれだけ真剣ということだ。
私はすっかりお店と店長のファンになってしまった。

京都の大学を卒業して就職で東京に引っ越しても、京都に戻る機会にはできるだけこの店に立ち寄っている。
きっと店長は私のことを忘れているだろうけど、それでもここなら、安心していろんなものを飲んで食べてみたい。
「お客さんの嫌いなものを教えてほしい」
開店から5年以上経つが、メニューの例の文言は全く変わっていない。


東京に来てから、例のビアバーほど安心して飲める飲み屋にはなかなか出会えなかった。おしゃれでシュッとして美味しいお店はいっぱいあるけど、二度行く理由はなかなか見つからない。

ある日、家の近所を歩いていると、看板に気の抜けた字で

たちのみ ビールとワインしかありません

と書いてあるのに気がついた。ワインを出すというのに気取った雰囲気がまるでないことが気になって、看板の横の階段を上がるとそこは年季の入った雑居ビルの一角だった。
入ってみると、床板がずっとギシギシいっている。店の構えとはズレたお洒落なカップルと身なりのいい紳士が飲み食いをしており、ひょろひょろのマスターが1人でせっせと店を回していた。
看板と同じ、気の抜けた文字のフードメニューを見るに、どちらかというとワインのアテが多い様子。
黒板にも産地やぶどうの名前がびっしり書いてあるが、ワインはさっぱりわからない。
「白ワイン飲みたいのですが、よくわからなくて……おすすめありますか?」
勇気を出してそう訊いた私に、マスターはこう返した。
「おすすめはいっぱいあるんだけど、嫌いな物って、なんかある?」
初めてのお客の質問に、愛想笑いもなくまっすぐ質問で返してくる。
これはあたりを引いたと思った。

それから私はもう3年近く、その店のファンをやっている。
ワインこそ、土地の特性・ぶどう品種の特徴・生産者の想いが重なってできる元祖個性派飲料だということを知れたのは、あの日「白ワインといえばまずシャルドネが有名なんだけど、実は癖がつよくて嫌いな人が多いんだよね。嫌いなものは我慢して飲まないでほしいから、苦手だと思ったら言って」と教えてくれたマスターのおかげである。
そうでもなければ「ワインなんてお高く止まって」と先入観に阻まれて、一生ろくに飲まなかったし、出されたワインが変な味でも「そういうもんだ」と思い込んで我慢していたに違いない。

初見のお客にいきなり嫌いなものを訊いてくる。そんなちょっと変な店長たちのおかげで、素直に好きなものだけいっぱい飲める。
これからも、好きだと思える美味しいお酒だけ飲んで生きていこう。

京都の店長と、東京のマスターに乾杯。

いつか猫を飼う時の資金にさせていただきます