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少年サッカーの憂鬱

平日は3日練習、土日は大体試合。休日の出先や旅先であんなに撮っていた写真は全然撮らなくなって、iPhoneのストレージを圧迫することもない。

試合の前日。宿題を早く終わらせ、夕食は油ものを避け、早めに就寝する。冬は暖かくして風邪をひかないように。

当日の朝は集合時間から逆算した時間に起きて、朝食は米中心にバランスのいいメニュー。トイレも必ず済ませておく。妻はもっと早く起きて弁当を用意していて、運転手の私は準備を急ぐ。試合会場のトイレでウンコするのは避けたいと、いつも腹の調子がよくない私は何度かトイレに籠り、今日もギリギリになる。

早朝のグラウンド。どこも都市部から離れたところにあるからか、晴天の日はキンと冷えていて、雨の日は少し滅入る。

「暖かくして寝ようね」
「お米はエネルギー効率がいいからな!」
「行ってらっしゃい。頑張ってね」
「今日は何点決めれるかな」


で、試合に出るのは15分間だけだったりする。1秒も出なかったこともある。朝から夕方までここにいて。


サイドラインの少し後ろにずらりと並ぶコールマンのチェア。一眼レフカメラで走る我が子を追いかけるお母さん、談笑するお父さん、我が子を、チームを鼓舞する声、歓声、拍手。

私は気付けば他の保護者から少し距離を置いている。なぜなら息子はコーチの隣でベンチを温めて続けているだけだから。

帰りの車内ではどこがいけなかったのか、どんな指示があったのかなどと話す。

「なぜあそこで競らなかったんだよ」「●●君のビルドアップは素晴らしかった」「○○君はよく走るな」

そんなこと話しても何もならないばかりか、きっと心の成長にはマイナスだ。

しかし、息子は楽しいと言う。

試合だけじゃなくて、練習も、チームメイトやコーチとの時間がとても楽しいと言う。練習に行く前は楽しみ!と、練習帰りは楽しかった!と言う。

そう。これで全てチャラ。

このために私は時間を割き、お金をかけ、趣味と睡眠を削っている。日焼けも。これが無ければとっくにやめているし、そもそも私が満足するためにサッカーをしているわけではないのは絶対だ。親は子供のために全力を注ぐのは当然オブ当然。

そしてこのチームを選んだのは我が子だが、最終決定したのは私。まだ幼い小学生の間の、家族にとってもかけがえのない時間をチームに任せることを選んだのは親である私だ。それに、ピークは今じゃなくて、今はその土台を構築している時期かもしれない。


そんなことは分かっているんだよ。


重々分かってはいるけども、どうしても、ベンチに座る我が子を見ては、単にチームスポーツと割り切れない何とも言えないとした気持ちになるのである。

子が活躍している人には到底理解できないであろうこのモヤモヤが、ただでさえ修行の足りない私の人格形成にプラスになるだろうか。いやなるまい。もう人生も折り返しに来ている私にはそんな苦行は必要ない。カテゴリが上だしな、早生まれだしな、良い子が出ちゃってるんだよな、と自分に言い聞かせる。

つまりは、ベンチを温めるために朝っぱらから遠くまで行ってまるまる一日潰れるくらいなら、かわいくてたまらない君と、どこか旅行や釣りや食事に出かけたり近所の公園で遊んだりしたいのだ。君は楽しいだろうが、私は結構寂しい。それと引き換えるものがベンチウォーミングだしな。ホッカイロかよ。貼るタイプの。

そして辛い。他の選手に比べ能力が劣っていて、戦術とフィットしていないことが無慈悲に可視化されているのだ。私にとって世界一かわいくて優秀な君がだ。ただただベンチを温める経験は、例えば旅行先で得られる経験値を超えられるだろうか。


…さて、少なくともこういうことは口に出すとダサいと思うし、出すべきじゃない。これは子供でなく完全に私目線であることだから、noteという便利な落書き帳にこうして書いている。嫌ならサッカーなんてやめればいいだけで、チームには感謝こそあれ不満は全く無い。コーチに「なぜうちの子を出さないんだー⁈」なんて言う奴は1秒も早く退団すればいいと思う。

私と違って未来がある君が大人になるとき、君という人間性を5角形チャートで表したら、多分「逞しさ」項目をこの日々が支えているだろう。私のチャートは歪だからこういうふうにならないように導くのも親の務めだ。

「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という。

私に関しては、全然紳士になれてないしなれそうにない。最後の方はもうお手紙みたいになってるし。新年度からは人員的にもこうしたことは少なくなってくると思うけど、仮に活躍したらしたで「もっと!もっと!」ってなるのかもね。

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