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FOREST COLLEGE 受講note|5

INA VALLEY FOREST COLLEGEの受講ノート。

第四講目のテーマは「森と建築〜地域で育った木で生かす建築を考える〜」。

移住したら家建ててみたいなー。カレッジ第一期生なんだから、やっぱ国産材だよなー。でも高いんだろうなー。妻に一蹴されそうだなー。

来たるべき妻プレゼンに向けた説得材料を、建築の方やきこりの方のお話から得られないか。割とフワッとした心持ちで参加した今回だったが、受講後はずしっと重めの課題をもらったような回だった。


■地域の木で家や暮らしをつくる

家建てるなら国産材。いろいろ学ぶことで、それくらいまでは思うようになったけど、地域材という発想まではたどりついていなかった。

伊那の建築士の倉田さんが持つテーマは「この場所に暮らすこと」。場所性=その場所らしさを取り入れた建物や暮らしづくりを大切にされている。実際にご両親の家を手掛けたときは、伊那のアカマツを使ったらしい。

建物を建てるのに地域の木を使う。それって珍しいことなのか?と、自分なんかは思ってしまうが、地域の木は建築材としてほとんど流通していないらしい。

山から切り出すところからはじまって→製材して乾燥して→建築材になるまで1年半→そこから加工したり建てたりでまた1年。現状では地域材を使おうとすると結構な時間や手間がかかるらしい。

■らしい風景になる

時間や手間がかかっても(=コストがかかっても)地域材を使う魅力ってなんだろう?その問いに対する大きな答えが、木こりの金井さんが語られていた「風景をつくる」ということなんだと思う。

風景はその地域の文化や独自性を表すもの。その地域の魅力や住む人の誇りにつながるもの。やはりその地域の木でつくられた建物は、その地域の風景に「らしさ」を与える。

金井さんは比較のために国道沿いの風景、いわゆるどこにでもある風景も見せてくれたが、僕の地元の福井と変わらない感じだった。それじゃなんだかなー、と自分も思う。

■地産・地工・地消

奥田さんが言っていた「木材を運ぶのにもエネルギーを使う。そういう視点でも地域の木が地域で消費されるのは大切。」というのも腹落ちした。木材輸送量×輸送距離、ウッドマイレージというらしい。

製材を含めた木のものづくりでは、地産地消をしようとしても、その間の工程である「加工」が別のところでしかできない、みたいなこともあるらしく、そうなるとよくわからない輸送が発生してしまう。環境保全の視点でも、”地産・地工・地消”は大切なことのだろう。

■いいバランスって?

金井さんはバランスの話もしてくれた。森林資源は使われすぎるとハゲ山になり、自然災害などにつながってしまう。昭和36年の大洪水時の写真も見せてくれたが、確かにハゲ山だ。

逆に今は使われなさすぎて健全さを失った森林が多くある。だから適切なバランスで木を伐って使うことが大切、というところまでは理解できているつもりだ。

でも、適切なバランスって、どんな感じなんだろう。

仮に伊那市に薪ストーブ革命が起こり、世帯普及率が100%になったとしたら、伊那の森はすぐハゲ山になってしまうのだろうか、それとも余裕なのだろうか。

例えばひとつの家族が主暖房として薪ストーブを使ったら、年間どのくらいの木を使うことになり、それをいいバランスで続けていこうと思ったら、どのくらいの規模の森を管理することと釣り合うのだろう。これはずっと気になっている。


■都市での木の活用

NIKKEN WOOD LABの大庭さんは、競技場のような大きな木造からDIY的な小さな木造まで、森林資源の循環や国土の保全をビジョンとした様々な木のものづくりをされている。

興味深かったのは、都市のビル建築とかで木を使おうとすると耐火の処理をしなくてはいけなくて高価になってしまい、コンクリートとかになってしまう。しかし、都市部で"木を使う”という目的を優先させるのなら、石膏ボードとかで木を被覆してしまう、というやり方もあるとのこと。木の表情は見えなくなってしまうが、構造体としては充分使えるらしく、欧米では珍しくないらしい。

なるほど、木の表情にこだわらなければ、木の活用の可能性は広がるのか。でもなんだかなー、とも思う。大庭さんも「やりたいかどうかは別として」という前置き付きで語られていた。


■コスパ的価値観を超えられるか

日本の木を活用すること、さらには地域材を活用すること。その意義や素敵さは、いままでよりわかったと思う。自分も地域の森や木と暮らしをつくりたい。その場所らしい風景の一部でありたい。

日本で暮らしてるんだから、日本の木で、日本で加工された木材で、家を建てる。さらには、その地域の木で、暮らしをつくる。それが面白いから、意味があるから、応援したいから、そういうもんだから。手間や時間やコストがかかっても、まぁしゃーない。

ひとりの生活者の、そういう選択や態度が、実は森を豊かにして、地域にいい風景をつくる。国や未来を豊かにする。世界にもいい影響がまわる。

そういう想像力がこれからの消費者には必要だし、提供者にはその想像力や気分を掻き立てるようなストーリーを伝えていく必要があるのだろう。

と、すごい大きな課題感に行き着いてしまったのだけれど、弱小消費者である自分は、本当にそんな選択ができるのだろうか。

ただでさえ借金しちゃうような買い物をするとき、「他の予算削っちゃうかもしれないけど、地域材を使わない?」と妻を説得できるのだろうか…。そして、広告に携わる職業人としても、コスパ的な消費を煽っているのではないだろうか…。

俄然不安になってきたが、倉田さんや大庭さんのようなマインドの建築の人に、びびりながらも「あのーできたら地域材使いたいんですけどー」と言えば、目をキランと輝かせていろいろ相談に乗ってくれるのではないか。そんな心強さは感じた。

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