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視聴覚派のシネマ入門_本藤のノート1

宮田さま、みなさま、ご無沙汰しております。本藤です。

つい先日まで逗子で小さな写真の個展「ハロー」を催してました。
ここでちょっとだけ展示について

・《ハロー》について。
テーマはズバリ「ハロー」でした。
会場のプロフを見た方は分かるかと思いますが、私がギラギラと東京や海外で活動していた時間は、とある家族の問題とコロナ禍によって切断されました。
次々と立ちはだかる様々な問題の対応に終われ、電車に乗るだけで動悸が止まらなくなる様になり、また、ウィルスの蔓延によってライフワークだった都市での酩酊と放浪と忘却の日々も次第に自動的に無くなりました。
それらの様々な要因によってクリエーションをする気力が完全に枯渇していきました。

.....EXTREME_飛躍.....

そして、なんやかんやあって、ようやく諸々の精算と整理が落ち着いた今年の4月頃に、音楽が再び聴ける体調に戻りました。
とはいえまだ新譜を聴く体力は無かったので、キッズの頃にクソ程繰り返し聴いたNirvana のSmells Like Teen Spiritを久しぶりに流してみました。

Oh no, I know a dirty word
Hello, hello, hello, how low
Hello, hello, hello, how low
Hello, hello, hello, how low
Hello, hello, hello

曲がこの箇所に差し掛かった時、まるで記憶喪失の人間が記憶を取り戻したかの様に、深海で息を止めていた生き物が久しぶりに海面で酸素を吸い込んだ時の様に、数年来の友人と再会した時の様に

「ハロー」

という言葉とともに「あ、会社のギャラリー全然知られてなくてクソムカつくし、自分で借りて個展やろ!」
と思って企画した次第です。
ハロー、私
ハロー、世界

・写真について
基本的に路上スナップがメインでした。
特にプロジェクションしているものとテーブルに散りばめられた写真群はコロナ前にコンパクトカメラで撮られたものが殆どです。
在廊時に話をするとお客さまから「色」についての言及が多かったのですが、実際、私が写真表現をする時には「〈色〉と〈記憶〉」というテーマを学生の頃から掲げています。

人が写真、を、撮る、という行為には、多かれ少なかれ心や情が動かなくては至らないと思います。
そんな私の心が動いた瞬間と、かつてそこにカメラと自分があったという事の証明として、1枚の写真が生まれるのだと信じています。古臭い話ですが。
もっと言えば、全てのスナップイメージは自写像であるとさえ私は信じています。

そんな極めて私的なモメントの集積が「ハロー」です。

正直もう業界や制度の事を気にして〈作る〉ことに微塵も興味は無くて、究極的に言えば自分の為に作っています。
で、そうしたらあなたが見に来てくれて、私が嬉しいです。
いやはや大人になったもんですね。


ここから本題

突然ですが我々視聴覚派は〈映画〉ないし〈映像作品〉を作ってみたくなりました。


しかし2人とも映像作品なんて作った事がないので、完全にもう手探りです。
とはいえ、未知の領域という事でわくわくしています。
なので、先ずは、とにかくお互い手を動かしてみましょうって事は下話として2人でしていました。

以下、私の今回のスタンスや背景などをまとめて記述しておこうと思います。

なぜ、映画か

私の場合はシンプルにらせんの映像祭で様々な映像作品と出会った事が大きいです。
世の中にはこんなに多くの映像表現が存在してるんだ!と衝撃を喰らいました。
また、写真と違って〈音〉や〈時間〉といった多くの要素が解放される事にも興味が湧きました。元々音楽をやっていた人間なので、ある意味で長い時間仕舞い込んでいたものを再び使えそうな予感がした事もあります。

学生の頃はタルコフスキーやエミール・クストリッツァ、ホドロフスキー、ミシェルゴンドリーやビスコンティが好きでした。あとはファンタスティックプラネットに度肝を抜かれたり、ウォーホルの映画(なんか人造人間作るやつ)にびっくりしたり、更には例に漏れずゴダールにもまんまとハマり、芸大でやってた横国の平倉さんの講義に潜ったりした事もありましたので、単純に憧れはずっとあったかもしれません。
ああ、最近ではフラハティなんかも好きですね。

改めて私の映像観について

今回写真の個展を開催して、改めて(今までも散々書いて来ましたが)私は「見る事」について興味がある事に気付きました。普段何気なく見ているものが、カメラを通してみると、まるで初めて目の当たりにしたものの様に感じる事があります。
ですから、私は「写真にしてみたらどんな風に見えるんだろう」と思いながら日々写真機を操作しています。

また、カメラを用いた映像表現は、絵画と違って〈偶然性〉が多く舞い込んで来る事が多いです。完璧にコントロールしている!と思いながら撮影していたとしても、〈意図せざるもの〉は映り込んでしまいます。
そここそがが写真や映画の面白さだと私は思います。

希望的な着地点としては、自分の持つ多くの文脈や武器を一度集約する様な作品が出来たら良いなと思っています。

とか言ってるけど

https://twitter.com/garig0ri/status/1543245793863168001

こんなこと呟いてますね。
飲みながら考えていたんですが、これは事実です。
映画そのものというより、上映会という形式に興味の比重はかかっています。それは元々ライブをやっていて、そして平面の作家になったからかもしれません。
多分、洞窟にバッファローの絵を描いて夜な夜な照らして喜んでいた時のdnaみたいなものを再び自分の中で駆動させてみたいのだと思っております。


まとめ_実際に何すんのさ


さて、ここからは実際の話です。
上記にもあります様に、まずは視聴覚派の2人でそれぞれ手を動かし、小作品を制作し、お互いに鑑賞しながら対話を行ないつつスウィングする箇所を探っていく…という行為を繰り返す予定です。

また、それら作品群は視聴覚派のYouTubeチャンネルに蓄積し、誰でも閲覧が出来る様にしようと目論んでおります。


それでは!駆け足になりましたが、視聴覚派のシネマ入門!はじまります!!


2022.7.5 本藤太郎



本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.

逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。基本寝不足。https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja


宮田涼介 / Ryosuke Miyata

神奈川県在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。2021年5月に新アルバム「slow waves」を配信リリース。また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。http://ryosuke-miyata.com/https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/




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