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【コラム】続・罪悪感について考える【向き合い続ける】(第14回目)

こんにちは。雑食坊主です。
今回は前回の続きです。

テーマは引き続き、「罪悪感について」。

自分なりの対策(有効度合い/実行のしやすさ)を、箇条書きにて記載していきます。

①没頭

有効度合い:★★★★★
実行のしやすさ:★★★☆☆

個人的には、これが一番対策できたら、有効ではないかと思う方法です。

罪悪感というのは、事あるごとに、出てくることと思います。
前回も述べたように、消えることは、ないものです。
そして、年を重ねるにつれて、罪悪感を覚える機会は増えていくもの、、という考えでいます。

脳内を占めるマインドは、罪悪感が感じている時は、それに引っ張られてしまいます。自分のやましい気持ちや、申し訳ない気持ちでいっぱいになるような。

その対策が、【没頭】です。

一番よいのは、

「脳内マインドを、自分の世界から別の世界にガラッと変えてしまうこと」

かなと思います。持っている箱(世界)を、そのまま取り換えるイメージ。
そしてその新しい箱に没入する。罪とか、申し訳ないとか、そういうのが全然関係ない世界に、思考を飛ばす・・というイメージです。

具体例を出します。

A:勝負の世界
→例えばスポーツの世界、ゴルフ・野球・テニス・水泳など、あるいは盤上競技の世界、将棋・囲碁・麻雀など・・

「目の前の相手を全力で倒す」
「自分自身に打ち勝つ」

など、はっきりと”勝ち”と”負け”に決着が付く場に身を置くことです。
勝負の場においては、その人がどんな思考を持っている人かは関係なく、平等に”どちらが強いのか?”のみが問われています。

特に1対1などの対戦では、その傾向が強いでしょう。

ここまで勝負の世界に身を置くことは難しいので、身近なところでは、対戦ゲームなどを通じて勝負の世界を作ることで、没頭の機会を得やすいことです。

仕事でも、この【没頭】の機会を増やせればよいのですが、個人的には年を重ねるほど、没頭し辛い環境になっていくものと捉えています(職種・職業によります)。

そのため、具体例としては明確であるものの、実行のしやすさとしては難しいのかなと捉えています。

B:映画・本などに触れる
→これも提示した通り、「違う世界に触れる」ものです。特に映画は、文字通り箱の中に入る行為であり、没頭がしやすい環境が整っています。
実行のしやすさとしても、コスパの視点でも、評価が高い対策です。
映画館でも見る方が、圧倒的に効果は高いでしょう。ただ、没頭しすぎても反動が怖いので、ストレスを強く抱えている状態であれば、あまり過激でない作品を鑑賞することがよさそうです。

似たような行為で、ライブ鑑賞・演劇鑑賞など、異なる世界に触れられるものは有効と言えるでしょう。


②うぬぼれの排除

有効度合い:★★☆☆☆
実行のしやすさ:★★☆☆☆

前回、罪悪感の定義として、「罪の意識とは「すべき」ことに反した行動を行うときについてくる感情」と紹介しました。

この「すべき」という思考が厄介です。

法律や条例などで定められたものとは異なり、私たちが日常で感じる罪悪感とは、物事の倫理観や道徳など、法律で縛られない部分に影響を受けています。そしてその「すべき」とは、他ならぬ自分自身が決めているものです。

「すべき」こと が分かっているのに、それができなかった。
助けてあげられなかった。何もしてあげられなかった。
申し訳ないと思う。自分自身が無力だと思う。

自分はよくこういう思考になりがちなのですが、これはある意味で【うぬぼれ】なのかもしれません。
なぜなら、
・すべきこと、とは本当に、誰かから望まれているものなのか。本当に第三者からの需要はあるのか
・実行できないことを、できたかもしれないというのは、口だけではないのか
という反論が出てくるからです。

この辺りは自答していることですが、ある意味では【うぬぼれ】であり、それを排除することも、自分を守るために必要な行為なのかもしれません。

そのため、自分自身の「すべきこと」の基準を下げてあげれば、いくぶんかは罪悪感を覚える機会も減るのでは・・という考えです。

自分自身が、本当の意味で、【できることは何か?/できないことは何か?】を認知することも、対策の一つかなと思います。自分のできることは案外少ない。少ないですが、そのできる部分で精一杯頑張ろう、とポジティブに繋げていきたいです。

逃げずに受け止めて、向き合い続けることも大事なのかなと捉えています。



③強くなること≒鈍感・不感になること

有効度合い:★★★★★
実行のしやすさ:★☆☆☆☆

ここは個人的には難しい技術だなと思います。
ただ、間違いなく実践している人たちはいるので、それについて言及します。

たとえば、お医者さんが患者さんに対して、「あなたの余命をもう長くありません」と言う場面があります。言う方も言われる方も辛い話です。

お医者さんは、務める場所によっては、何度も、ずっと、これらの言葉を発しないといけない方たちです。必然的に、心はダメージを受けるでしょう。

ある意味では、鈍感あるいは不感にならないと、やっていけない場面もあるかもしれません。

また違う場面では、高校の部活の先生が次に出る試合のレギュラーメンバーを発表するとき。これも上の例え話と似ていますが、辛いことを言わねばならない瞬間です。”選ぶ”ということは、”選ばない”ということと同義です。
他には、仕事などにおいても、似たような局面は都度都度やってきます(人事とか昇格とか)。

これらを推進していく人たちは、非常にメンタルが強い人たちです。
こういうことができる人たちは、リーダーになることができる人たちです。

良いことも悪いことも受け入れて、前に進んでいく力。

すごくシンプルに言うと、【強くなる】ということです。
強くなって自分を信じる力があれば、罪悪感にも負けなくなります。
私は罪悪感を「無力感に似た感情」と表現しましたが、「無力ならば実力を持てばよい」という発想です。とてもシンプル。ただそれが難しい。


以上、だいたいこんな感じで、自分なりの罪悪感への対策を述べてみました。一口に罪悪感と言っても、その本人の置かれている境遇・環境に左右されるので、一人ひとり、対策は違ったものになるかと思います。

読んでくださった方の、思考を整理する際の参考になれば幸いです。


では今回はここまで!!



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