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《言語化》するというのであれば、正しさをめぐって議論をすべきである【スプラトゥーン3】



はじめに

スプラトゥーンにおける議論

※冒頭部分を追記しました。2024年1月3日。


本記事は

「みかぐら@mikagra」
と、
「のりしおちゃんねる🦅🍓@NoriFPS」

との間で起こったやりとりを発端にかかれたものである。

二人のやりとりを勝手ながらまとめさせてもらうと、

「お前は俺よりもXPが低いのに《言語化》して、Twitterでまわってきたプレイ動画に色々いったり、スプラに関しての考察をしているようだが、それにはどのぐらいの価値があるのか?」

といったものである。

私ズンダはかねてより《言語化》に関して違和感があった。
たとえばスプラのプレイに関して色々述べている人は多くいるが、毎回思っていたのは

「なぜ、ちょこぺろやメロン君のような人物はあまり《言語化》しないのだろう。そして彼らはXPが2000中盤ぐらいの人々の《言語化》をどうおもっているのだろう?なぜ、誰も、その《言語化》が正しいかを議論しないのだろう?」

ということであった。

そう思っていた矢先にXPが三七〇〇後半の、のりしお氏による批判がみかぐら氏へ向けられたので面白いと思ってみていた。

結果として、この応酬は不首尾に終わった。
そのときの私は慨嘆した。

せっかく本当の上位勢との間で議論がはじまるのではないかと期待していたが肩すかしに終わったからである。

もちろん、Twitter上で、ましてやもともと付き合いのない人物同士での有効な議論など起こるわけがない。
そんなことは以前の記事でも書いた。

だが、残念である。

そのとき、何が問題だったのかをまとめたのが以下の文である。
これは《言語化》を得意とする人間が、実は誰とも論じ合うことができず、ただヒトリゴトをTwitter上に記しているだけではないのか?とおもった私がその議論をみながら思ったことを書いた、これまたヒトリゴトのような文である。

ここにはスプラを《言語化》する人の矛盾と、スプラ界隈が目指した方がいいのではないか?ということがぼんやりとかいてある。

彼らの議論でわかったこと

整理してみる


・道徳的聖者


→義務論的な聖者。つまらない人間。
だがこれを武器にして人を責める人たちがいる。

・対人論証=人格にもとづく論点のすり替え


→道徳へのすり替え。「人を批判するなど礼儀がなってない」などという反論。これは当たっているが、議論の的に当たってない。
ニーチェ『道徳の系譜学』におけるルサンチマンによる畜群をみているようだった。



・論理的という人の非論理


→上記のすり替えを平気で行うことはすでに論理的ではない。更にそれに気づかないpeer reviewerも同様に非論理的である。

・無自覚な権威性


→自分はプロフィール上にレートやウデマエを記しているがこれは自身の発言に権威をもたせるための行動である。矛盾している。

・権威はなぜ必要か



コリンズのいう知の周期表



建築物などの外観など。大学という権威。正統性が欠如してしまえば誰も話をきかなくなる。

XPが高いということはスプラのガチマッチにおける説得力の強さと多くの人々に周知させる力がある。

サモランも同様。プレイヤーのプレイを迅速かつ効率良く向上させることが可能になる。

一方で上位勢による解説に弱者の境遇が含まれていない事には注意が要る。
他者の合理性が欠如しているがこれは弱者と関係性がうすいからである。
そしてこれがまた考察勢との衝突をうんでしまった理由の一つ。



・サモラン勢vs考察勢vs上位勢



→越訴の罪のようなものでは?隣の領域=サモラン勢、に口出しするのは考察勢も同じ。

ただし、考察勢の延長線上に上位勢はいるが、サモラン勢は別の線を走っていたことが異なる。

サモラン勢のプレイに関して考察勢および上位勢が何かをいうことは越訴だといえるが、上位勢がガチマ考察勢に何かをいうことは越訴だろうか?



・発言したくば獲得物を剥離せよ


→権威の話。もし上位のXPの高さが鼻につくのであれば自分自身も獲得したものを剥がすべきであり、プロフィールから経歴を消すべし。


・点検なき考察の行く末と機関の創立



→ジャーナル共同体が存在しない以上、妄想の垂れ流しである。


一方でジャーナル共同体が存在しないスプラにおいてこれはやむを得ない。このままいくといつまでも同じような衝突を繰り返し、生産性のないやりとりをしつづけるはめになる。
ただし、「生産性がなくともいいし、正しさを求めているわけでもないし、うまくなりたいがうまくなれない人たちはそのまま下手くそでもかまわない」というのであれば話は別である。

スプラの上位勢がやるべきこと



個人的に思うのはスプラは上位勢が中心となり身につけるべき事項をまとめ、考察勢が初心者へ説明するファシリテーターとして機能する機関をつくり、スプラの教科書をつくるべきだとおもう。

おそらくそれが理想。

立ち回りや対面などの語義解釈がわかれるが、
これは私がやりはじめたスプラ2のときからそうであり、いつまでも公の見解をつくらないから、言葉の定義が個々人で異なるのである。

そのために権威による正統性が必要となる。

たとえば、我々はチョコペロ氏やメロン氏が何かをいえばそれに反応し、考える。この理由はXPが高いからである。そしてこれが権威である。多かれ少なかれ、権威を無視して何かを語ることは出来ない。

ポストモダン化するスプラ



ポストモダンというのはネタでしかないが、しかしポスモダっぽく感じているのも事実である。

個人的にはほぼネタともいえる指摘になるが、スプラの考察は客観性を欠いた確度の低いものである。

これは元々、8人のゲームであり複雑性を内包しているからだが、それ以前に手続き的な問題がある。検証の欠如がこたえである。

だが上記に述べたように何らかの機関がなければ個人による駄弁を弄するのみになるのは当然である。



・大きな物語XPの消失




→ポスモダの世界で言うところの大きな物語、昔であればマルクス主義的な階級闘争史観があったがそれが資本主義の進展による中流階級の出現や革命の残忍さなどの発露により影響力が衰えてしまった。

もちろん、今は今で物語りによって私たちは動いているという考えもある。

ただそれが小型化し、島宇宙(個々のコミュニティ)となったという説なのだ。

スプラ3はウデマエXが導入されて即XP4000という快挙があり、スプラ2に比べると異常なほどのインフレが起こってしまった。

以前、動画でも述べたように極端な数字までいくと我々はそれを認識することができなくなる。ましてやXp4000を超えることは簡単ではない。

スプラトゥーン自体の高齢化も相まって、ひたすらXPを上げることに勤しむ風潮は消えてしまったように思われる。

これらの理由から「XPを上げることがスプラをやること」という《大きな物語》は風前の灯火となり、XPに対しての憧憬はスプラ2に比べると少なくなってしまっている。

私たちがXPの高さに憧れを抱くのはあくまでガチマッチに参加しているからである。

サモラン勢からすればXPが高い人をみても何も感じないように、ガチマから卒業してしまえばXPの価値も感じられなくなる。

それでもスプラにおける《大きな物語》であるXPは未だに権威をもっている。というかそれ以外、上手さを語るための基準がないのだ。


多くはガチマッチに夢をもつことができなくなり、スプラから引退するかサモラン勢になっていく。

サモランが好きであればスプラに居残り続けるが、サモランに興味のない人は別のゲームへいく。

スプラは先細りになっていく未来しかみえない。格ゲーの衰退とダブってみえる。

私は前から述べているのだがおそらくスプラを利用した他のゲームがだされるのではないかと推察している。

ガチマッチという若くて才能のある人しか結果をうまく出せないゲームに拘る一般人は数少ない以上、これからガチマを優先した製品をだしつづけるとはおもえないのだ。



・島宇宙にあらわれた強者



→考察勢という島にXP強者があらわれたことを指す。
一種のエイリアンともいえる。

どちらが正しいかというのはたとえ意見があわなくとも議論すべきところであるが、島宇宙化していると共通言語をもっていないので、互いの意思疎通をはかることができず、失敗してしまったといえる。
非常に勿体ない一幕。

この互いの差異におけるやりとりの仕方についてはズンダのNOTEを参照。

https://note.com/zundanozunda/n/n7e24a16a0288


人それぞれと妥当性



→人間はそれぞれ異なる国や地域にうまれたので異なる道徳や慣習をもっている。

これを認めることは相対主義である。実際その通りだとおもうが、人間はあくまで人間であり、生物学的には違わない。そこから似たような感性や体験、共通した部分も当然でてくる。

これらをごったにして「人それぞれだから」はいかにもポスモダ的ではある。

なおこのポスモダ解釈は通俗的な誤りという意見もある。
ポスモダ批判については『「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波現代文庫)か社会構成主義を批判した『なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて』(みすず書房)がある。


上位勢がガチマ考察勢に何かをいうことは越訴だろうか?実はここに別の問題が生じているので別の項目でかく。

おわりにー疑問ー


①上位勢は考察勢と同じ事を考えているか?
②上位勢はそもそも考察勢よりも言語化が下手で、何かを考えていないといえるか?ただ、表明していないだけではないか?ここには島宇宙化したコミュニティの断絶がある。お互い関係していないから、それすらもわかってない。
③そもそも考察勢の考えは普遍性をもつのか?←要検証
④考察する意味はあるか?

なお①と③は考察勢の考察があくまで
「個人的な妄想であり、自慰行為である」というのであれば、検討を要しない。

メモだが、メモより発展するかはわからない。


なお、私ズンダの今念頭にあることについてはチャンネルの切り抜き動画をみるのが一番はやい。もちろん、チャンネル登録してほしいし、イイネもおしてほしいというのが本音である。

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