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父のおにぎりと母のなす漬け

母は、若いころ調理師をしていたと聞いたことがある。
遠洋に出る大きな船に乗って、乗組員の食事を作っていたらしい。

お酒を飲んで、おかしくなっている母ばかり見ていた私には、想像ができなかった。
台所に立っていたとしても、くわえタバコとワンカップがお友達。

しかし、ごくごくたまに、バラの花の形に盛り付けてあるハムとか、切れ目がたくさん入って、おしゃれに変化したリンゴとかを目にしたときは、信じてみてもいいのかな、と思ったりもした。

お弁当が必要なときは、たいてい父が作った。
いまになって思うが、あの人は、ものすごく真面目で几帳面で頑固だった。

まず、鮭を焼くところから始まる。
生の鮭の両面に醤油を塗りながら、じっくり焼く。
ご飯は、羽釜で炊いていたが、熱いうちに塩をたっぷり付けた手に乗せる。
手のひらのご飯のうえに、はみ出すほどの鮭をのせ、また、ごはんをのせる。
奥歯をくいしばるように力をこめ、にぎる。

これでもか、というぐらいぎゅっとにぎった丸いおにぎりは、1個でおなかいっぱいになるぐらい大きい。

しかし、これで終わりではない。
その丸いおにぎりに、のりを巻く。
のり1枚で全体を包む。
真っ黒なボール状になったおにぎりを、焼き網に乗せる。
真っ黒だったのりが、焙られてみどり色に変化していく。
表面には少し、塩のかけらが浮き出す。
火を止める。
粗熱をとるため、網の端に少し置いておく。

アルミホイルや、ラップは使わない。
新聞のチラシで、包まれるおにぎり。

人前で出すのは、ちょっと恥ずかしかったが、とてもとても美味しかった。

何十年たっても、こうして鮮明に思い出される。
たぶん子どもの私は、父の傍で、その工程をじーっと見ていたのだろう。

20年以上前の話である。
父に二人の孫ができた。
離れて暮らしているから、ほぼ会っていない。

下の子が小学校へ入る前ごろ、父と母と、動物園に行った。
どういういきさつだったのかは、覚えていない。

糖尿病が進んで痩せて、ほぼ目が見えなかった母は、孫の小さな手に引かれながら、濃いサングラスの下で、時折笑っていたように見えた。

お昼時、私の思った通り、あの、おにぎりが出た。
これだけは、子どもたちにも自慢ができる、父のおにぎり。

母が、紙袋から出したタッパーには、おかずのかわりに、なす漬けが入っていた。
機嫌のいいときに漬ける、小さな長なすの漬けもの。
ほとんど視力がないのに、紫色がきれいに出るように、ミョウバンを忘れず入れている。
私の好物だった。

孫と一緒にいる父は、とても小さく見えた。
背中が曲がり、小首をかしげる癖も目立たなくなった。
こんな日も、過ごせるんだなと遠くから眺めた。

こんな日の思い出は、ときどき、引き出しから出してみたくなる。

ありがとう。



ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。