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私を養子にしてから40年以上。お父さん、あなたの人生は幸せでしたか。

交通事故で父が亡くなった。
警察に呼ばれて、5時間ほどかけて新幹線を乗り継いで行ってみると、小学校の理科の実験室みたいなところに案内された。
テレビドラマでよく見る霊安室だと、白い布をかけられて、ろうそくが灯っていて、なんてところを想像していたのだが、なんか拍子抜け。
木枠の台のアルミかステンレスかのような銀色の上に、父らしき人は何も身につけずに寝ていた。
交通事故で即死、の割に目立った傷もなく、そんな恰好で寝てたら寒くない?って感じ。
「お父さんで間違いありませんか」
なんてことはまったく訊かれず
「で、どうすれば?」的な感じだった。

父は76歳で亡くなった。
父が35歳のときに、私を養子にした。
母の弟の次女だった私が6歳のとき。
だから、父も母も、私にとって養父と養母。
小学校入学にぎりぎり間に合うタイミングだったようだ。

この頃の写真を見ると、私はいつもブスっとしている。
小学校の入学式、桜の木の下で黄色い帽子をかぶり、グレーのジャケットを着て、赤いランドセルを背負った私が、こちらをにらんでいる。
記憶はほとんどない。
だから、本当の父と母だと思っていた。この頃は。

当時、父と母の仲はよかっただろうか。
父と母が、どんな風に出会って結婚したのか、これまでまったく考えもしなかった。
とにかく、あの人たちと穏便に過ごせるように私は頑張った。
あの人たちの人生がどんなものだったのか、本当はどう生きたかったのかなんて、考える余裕はなかったし、どうでもよかった。

遺影にする父の写真を探しながら一枚一枚見ていると、私の知っている父はこんな顔じゃないという違和感に包まれる。
私を養子にせず、母と二人でのんびり暮らすという選択肢もあったはず。
私の人生も、結構長くなってきた。人にはいろいろな人生がある。

父の人生が知りたい、そう思うようになってきた。
私を養子にし、アルコール依存症の母と壮絶な暮らしをしながら、自分もアルコール依存症になり、自殺未遂を繰り返し、私にさんざん迷惑をかけた父の人生。

「お父さん、あなたの人生は幸せでしたか。」

ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。