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私を怒ったときの父の気持ちって、どんな感じだったのだろう。

私が小学生のころ住んでいた借家は、よく言えば自然豊かなところにあった。
田んぼがあり、山があり、小さな縫製工場があり、
家から学校まで、約2.5キロを毎日歩いて通っていた。
通学の途中で、蛇に出くわすこともよくあった。
私は、蛇が大、大、大嫌いだった。そして、今も。

父も母も、アルコール依存症。昔はアル中って言われてた。
普通の親もそうだろうが、機嫌のいい時と悪い時がある。
機嫌を損ねないように、私はいつも顔色を窺っていた。

父の自転車の後ろに乗せられたことがあった。
機嫌のいい時。

あるとき、走っていた自転車が急にとまった。
父につかまって後ろに乗っていた私の右足が後輪に挟まったのだ。
ものすごく痛かった。
履いていた靴下の間から、血が出ている。
右足の右側、小指の後ろからボコッと出ている骨のあたりの肉がめくれているようだった。(きゃー気持ち悪い)
小学校低学年の私は、機嫌のいい父がいくらなだめても、田舎の道で大泣きしていた。

次の父の一言で、ぴたっと泣き止む私。
「泣いてると、おかあさんに怒られるぞ」

お酒が入ると、狂ったようになる母は、世界中で一番怖い。

その日は、もちろん病院なんて行かなかった。
右足にビニール袋を履かされ、輪ゴムで止めてお風呂に入った。
人間って、強い。


子どものころは、とにかく怒られないように細心の注意を払って生きていた。
思い出したくもないようなことも、日常茶飯事だった。

家には、一升ビンがたくさんあった。
父は、蛇をつかまえて、そのビンに入れることがあった。
お酒に入れていたのか、空のビンにただ入れていたのか。
とにかく、見るのも嫌だった。

父が私を怒る最上級は、その一升ビンたちとともに、お風呂に閉じ込めること。
半分ぐらい水の入ったお風呂に、ビンたちを入れプカプカさせる。
まるで蛇が泳いでいるように見える。
その中に、私を入れて上からフタをする。
私の恐怖も最上級だ。

いま思えば、お風呂のフタなんて、そんなに重いものではないから、脱出できないことはなかったはず。
支配されている状態って、スゴいことなんだと大人になってから気づく。

父と母は、お酒が入った状態だと別人格だった。
子どもの私には理解できなかった。
父は、どう思っていたのだろう。
いまになって思う。
たぶん、父も苦しんでいたのだろうか。
子どもを育てる責任は、とても重かったのだろうか。

「なに生意気言ってんだ」
そう、聴こえてきそうな気がする。

ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。