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N〇Kの健康番組を見てセンスないな~と思った話

先日放送されていたN〇Kの健康番組で「正しく座りましょう」という話がされていた。リサーチ甘いなぁ~、センスないなぁ~と思った。

頸部から来る痛みについて4つ症例を紹介した後、エンディングで「長時間のPC作業は首の痛みを引き起こしやすい」という結論に至っていた。そんなん誰でもわかっとるわ。

確かに、悪姿勢によって頭を支える首の筋肉や組織が不調を起こすことはよくある。

しかし、一般的に言われる悪姿勢も「姿勢の一つ」ではあるのだ。一時的にその姿勢を取ること自体には何も問題はない。根本的な問題は「長時間その姿勢のままで居ること」だ。

首周りに問題が生じにくい「ただしい座り方」をしたところで、座っている時点で膝は曲がっているし、股関節も曲がっている。この姿勢で長時間いれば当然股関節や膝周りの可動域に支障が出る。

人間は立ったり座ったりする。
何を当然のことを…、と思うかもしれないがこれは重要なことだ。

私たちの身体は賢い。座っている姿勢が長くなれば座っている姿勢に最適化した身体が出来上がる。

座っていることに最適化された身体は、座っているときには問題を生じないかもしれない。しかし、人間は立ったり座ったりする。

座っていることに最適化された身体は、立って行う動作が苦手だ。座ったままで居れたらいいのかもしれないが、残念ながら人間は動くとき、だいたい立っている。

悪姿勢によって引き起こされる問題の根本は「その姿勢に適応してしまったせいで、ほかの動作がやりたいときにその動きができない」ことにある。「座り続けていたせいで、立って行う動作ができなくなること」が問題の本質だ。


そして、その適応の根本にあるのは「時間」というファクターだ。

一日のほとんどの時間を身体運動に割かないが、一定時間思い出したように運動して過ごす人のことを「アクティブカウチポテト」という。朝30分だけジョギングをして、あとは座りっぱなし…みたいな人たちのことだ。トレーニングをしている人の多くはこのタイプに属する。

残念ながら、思い出したようにまとまった運動をしたところで座りっぱなしの時間で形成された身体の機能不足や非対称性は取り戻せない。

拙著『ずーみーのパーフェクト立ち方教室』の無料部分でも解説した通り、運動の健康効果も「アクティブカウチポテト」のスタイルでは得られにくい。

1日のうちの短い時間だけ強度の高い運動をしていても、1日の長い時間を身体不活動が占めていては運動による健康効果は打ち消される可能性があります。

『ずーみーのパーフェクト立ち方教室』

動かない時間が長すぎることによる問題は、多少動いたくらいでは取り戻せない。

去る者は日日に疎し。どんなに仲の良かった友人でも、何も連絡を取らないまま数年経てば疎遠になる。こまめに連絡を取っていればそんなことはない。これは身体でも同じようだ。

「身体に問題が起こるのは悪姿勢で座っているせいだ」は一見正しいように見えるが、要素に不足がある。根本的には「悪姿勢で座り続けている」ことが原因だ。

現代社会は知的労働を要求し、身体のことを忘れてしまう傾向にある。ヒトは「動物」であることを忘れないようにしたい。狩猟採集民をやっていたころから身体はほとんど進化していないのだ。私たちの身体は「動き続けること」を前提にデザインされている。「座りっぱなし」は進化の前提に組み込まれていない。

子供たちは落ち着いて座っていられないものだが、「見栄えが悪い」とかいう理由でおとなしくじっと座っていることを学習する。私たちは、せっかくの身体の叡智を失うように教育されている。

「貧乏ゆすり」は音を立てるから行儀が悪いと言って、やめろと言われる。しかし、座りっぱなしが健康に悪いというエビデンスがそろってくると、ふくらはぎは「第二の心臓」ということでEMSでふくらはぎを刺激するようになった。貧乏ゆすりをすればいいだけの話なのだが、社会通念によってそれは封じられていて、謎のマーケットを形成している。


こういった、身体の声を聞かない「お行儀」に縛られた世界では「運動しよう」と思ったときに問題が生じやすい。

日常生活は言わずもがな、トレーニングでも問題が生じる。「この種目をやってみよう」とおもったとき、その動きが適切に出来なければトレーニング刺激を筋肉に与えることすらままならない。

トレーニング動作がうまく取れない原因の多くは日常生活の積み重ねで生じる機能不足や非対称性だ。ジムに行ってエクササイズすることで対症療法的な改善は望めるかもしれないが、根本的な改善にはならない。

日常生活のレベルから根本的な策を講じない限り、ニガテな種目はニガテな種目のままだ。

ある種目の実施を「イマイチやり方が分からない」という理由で諦める前に、その種目に必要な関節の可動域や安定性を自分が本当に満たしているか考えてみるとよい。そこに自分の伸びしろがあるはずだから。


我々の身体の先天的デザイン社会的要求による不活動のミスマッチには、「同じ姿勢で長時間いる」という問題の根本がある。

問題は根深いが、15分や20分おきに思い出したように軽い全身運動を行うことが落としどころになるだろう。これで長時間の不活動によるデメリットを軽減できるはずだ。

この記事を書く間に1回「変なダンス休憩」を挟んだ。
そろそろ次の変なダンスの時間だ。それでは。

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