去年の今日(11/10)最悪な出来事がはじまった。

ちょっと今日は暗いnoteですが、ご勘弁ください。

去年の11/10。
久しぶりに実家の母ちゃんから電話がかかってきました。

その内容は、
「父ちゃんが癌になったよ」

あれから1年が経ちました。
長かったような、あっという間なような。

2022年7月に親父は他界。そのことをまとめたnoteがあるので興味があればぜひ読んでみてほしいです。長文です。

心労というものを生まれて初めて経験しました。

親父が亡くなって数ヶ月。あの最悪な出来事を振り返って思うことを、淡々と書いてみようと思います。

「なんとかなる」という別の形

僕は心配性のAB型なんですが、「なんとかなる!」と思い込むようにしてどうにか平静を保っています。

父のときもそうでした。ずっと不安だし辛かったけど、なんとかなる!と思うことで耐えてきました。

結果的に、なんとかなりました。

それは全てがバッドエンドで終わって、何も報われないという形。
全部が壊れることで物事が解決するということもあるんだなと知った。

闘病生活を終わらせるには、死ぬしかなかった。結局のところ、そこまでを支えることしか家族である僕らにはできなかったということです。

良いことも悪いことも続かない。全てがぶっ壊れて終わる出来事もあるんだなぁ。

「死」というテーマが人を変える

親父の癌がきっかけで僕自身は大きく価値観が変わりました。

▼「家族」に向き合うようになった
親父と過ごす時間が増えたこともありますが、姪っ子・甥っ子と過ごす時間も大きく増えたことで家族に対する考えが変わりました。

関東生活が長いと麻痺しちゃうんですよね。みんな仕事、出世にすごく真面目。結婚や出産なんてニュースはほとんど聞きませんでした。

やっぱり自分の家族という最強のコミュニティは大事にしたほうがいい。

▼健康に向き合うようになった
親父の病気の進行を見ていて、人ごとではないなと思いました。

医者から歩けと言われていたけど、そもそも意図的に歩く運動をする基礎体力すらなかった。

それを見て、僕はジムに通うようになりました。運動する習慣って大事だ。

2月から開始して現在に至りますが、かなり痩せて筋肉も付きました。
気合い入れて引っ込めてた腹も最近は気にしなくてよくなった。

ジムにはおじいちゃん、おばあちゃんも来ていて感心します。外を歩くより、ジムのマシンで運動したほうが安全だしね。夏も快適そうでした。

▼フリーランスの真骨頂
僕は約10ヶ月間ほど、実家と自宅を飛行機で行ったり来たり。親父の通院に2泊3日で熊本に行くこともありました。

それができたのはフリーランスという働き方のおかげ。これに尽きる。

会社員だったら絶対に無理だった。この働き方を選んだ、この働き方の考えを持った僕だからこそ、親父が死ぬ瞬間まで寄り添えたんだと思います。

この働き方ってもっと広がるべき。
いつか僕と同じ境遇の人に出会ったら、真剣に言いたい。「仕事なんていつでもできるんだから家族を優先しろ!」と。

仕事ってもっともっと効率化できる。
ムダを省けは家族に寄り添うことは誰にでもできる。

会社員時代、僕は本当に薄給でした。
フリーランスになった今だからこそ、6往復する飛行機代やその他もろもろのお金を出すことができました。

フリーランスは最高だ。

生活が変わる

地元の宮崎に何度も帰るうちに、改めて地元の良さを感じました。田舎も常に進化している。

本当は親父の通院のために、宮崎に引っ越そうと思っていました。(母ちゃんに負担をかけないため)
ですが、もうその必要もなく。

それを差し引いても宮崎は魅力的です。だから、次の生活は宮崎で始めよう。

5年前にクソみたいな転勤でやってきた神奈川。ついにおさらばです。
神奈川自体はめっちゃ好きな街。空港があれば完璧。

▼ジム通いが不妊治療に役立つ
先ほどジム通いを始めたといいましたが、これは目に見えて結果が出ました。
それは不妊治療。

実は僕は、精子の運動率がかなり低いと指摘されていました。
(確か通常40%いるところが、8%しかないみたいな)

で、専門の病院に言ってましたが5分ほどの診療で5000円。さらに薬が3万円と、無茶苦茶財布を圧迫してきていました。

それでもなんとか薬を飲んで再検査→運動率ほぼ変わってない。みたいなことが半年以上続いてました。本当に辛かった。

ですが、ジムに通ってからは数値が大幅によくなりました。それは中性脂肪が減ったからと言われてました。

やっぱり薬に頼るより、ちゃんと運動するのが一番。これはいい経験になりました。

おかげで不妊治療も無事に終わりました。

今度は僕が親父になる

親父の闘病生活を経て、今度は僕が父親になります。

本当は親父に”じいちゃん”になって欲しかったですが、その夢は叶わず。しょうがない。

今は暗黒の時代ですが、子供が育つころにいい時代に変わっていくように自分ができることはなんでもやっていきたいですね。

僕の言葉が子供のアイデンティティになると思うと、言葉遣いも気をつけなきゃなと思います。

闘病生活のときも、葬式のときも「親父の子供でよかったよ」と何度も言いました。

今度は僕自身がそう言ってもらえるような生き方をしていかないとね。


いいなと思ったら応援しよう!

去年の今日(11/10)最悪な出来事がはじまった。|秋 | YouTuber、パソコン講師