図工のキットは買わない主義
キット教材を開発している会社のみなさんには申し訳ないのですが、ぼくは、図工の授業を行う上で、キットのものは買わないようにしています。その理由の話。
図工の材料が子供に手渡されるとき、子供が自分自身で選ぶときもあれば、教員が精選して渡すときもあります。
教員が精選するときは、色々な材料から、題材に合わせてあれでもない、これでもない、と選んで用意をするのですが、そんな手間を省いてくれるのが、キット教材です。
その題材を行う上で、必要なものが入っていて、入っていた袋に名前を書けば保管もしやすく、子供も手順通りに作るのでやりやすいです。
ただ、ぼくはそのキット教材を買いません。
ブリコラージュ
その理由は主に2つあります。
まず、第一に「ブリコラージュ」という視点です。
「ブリコラージュ」とは、文化人類学者のレヴィーストロースという方が、『野生の時代』という本で述べた考え方なのですが、簡単に言うと「ありあわせでなんとかする」という考え方。
以下のリンクが図もあってとてもわかりやすかったので貼っておきます。
この「ブリコラージュ」と対になる考え方として、こちらのリンクでは、「エンジニアリング」という考え方を載せていました。
「エンジニアリング」は最初にゴールイメージを確定し、それに合う材料を選定し、組み上げる、という考え方。
「エンジニアリング」の考え方は、効率的でパターン化しやすいのですが、決まりきったものしかできない、という点もあります。
「エンジニアリング」がゴールイメージ先行型だとすると、「ブリコラージュ」はモノ、材料先行型です。
まず、何があるのかを確認し、その材料の特徴を考えます。そして組み合わせて、なんとなくゴールに近づけていく感じ。
色々な材料の特徴を考えるので、非効率ですが、思ってもみない取り合わせや、イノベーションが起きやすいのがブリコラージュの考え方だと言われています。
ぼくが図工の授業で実感してほしいのは、「ブリコラージュ的感覚」です。
「この材料、意外と使えるな」とか
「この組み合わせ、かっこいい!」とか
「それを思いついた自分、すごい!」とか
色々なものや体験を自ら価値付けできるようになってほしい。そのためには、「エンジニアリング」ではなく「ブリコラージュ」の体験が大事だという考えです。(もちろん、学習によっては、「エンジニアリング」的な考え方はとても大切です。図工との親和性としての主張だと思っていただければと思います。)
これがなきゃ、にならないように
さて、キット教材を買わない理由の2つめです。
これは気持ちの話になってしまうのですが「これがなきゃできない」になってほしくない。という気持ち。
他校で聞いた話なのですが
過去に作ったことのある学習を引き合いに出して、「もっとこうしてみたら?」とアドバイスをしたところ、子供から「だって、あのセットないからできないもん」と言われた、というエピソードがありました。
よくよく聞くと、キットがなくても再現できる内容だったのですが、その子にとっては「キットがある≒できる」「キットがない≒できない」という思考になってしまっていたようです。
皮肉だなあ、と思いました。
技能として、誰でもできるようにするためにキットを買っているのに、マインドの上ではそれとは正反対になっていたなんて。
もちろん、その子はレアケースの場合もかんがえられますが、どうしてもそのエピソードが記憶に残ってしまいました。
思考方法と気持ちから、自分がキットを買わない理由を書いてみました。
もちろん、定額働かせホーダイと揶揄される教員の仕事の中で、キットを使うことがダメだ、と言えないし、しょうがない部分もあると思います。
でも、キットに慣れてしまったとき、立ち止まるきっかけになればいいな、と思って書いてみました。
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