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561杯目:【私見】エンタメについて考える3…エンタメが必要な時

今年猛威を奮っている新型コロナウイルス、そして近年繁茂に各地で起こる台風や水彩、さらに少し遡ると震災…その度に被災地や被災者にとってエンタメが必要か不必要かという議論が出る。

被災している人にとっては、特にお笑いなどはエンタメを楽しんでいる場合じゃない!!
みたいな世間の空気があります。
確かに、エンタメを受け入れるか受け入れないかの判断は被災している側にあり、エンタメを届ける側の芸人さんには決定権はありません。

それは当然のこととして、エンタメって、心に…気持ちに…お金に…余裕のある時だけのものなのでしょうか?

それぞれの考え方や性格や背景もあるので、一概に正解はないと思いますが、東日本大震災で少し被災した経験のある自分は、エンタメは一切受け付けないどころか、逆にそういう時だからこそ必要なものと感じました。
もちろん、タイミングというのはあると思いますが、そういう時だからこそ笑いたい、歌に感動したい、その時だけでも現実から一時避難したいという気持ちがありました。

そしてその後、『頑張ろう!』と前向きにしてくれたのがエンタメでした。

そして今年のコロナ禍は、それまでの震災・水害などの自然災害とはまた違う。
コレまでは、被災者とそれを助ける人がいたのが、今回のコロナ禍は世界中の人々全てが被災者、その上動きが自由に取れないという今までにない人間への試練だと思います。

そんな沈んだ空気の中、一筋の光のエンタメも手足を縛られて身動きが取れない。
しかし、その中でも西野亮廣エンタメだけは常に動いていたように思います。
たまたまではありますが、コロナ禍以前から西野亮廣エンタメのファンで良かったとしみじみ思いました。

コロナ禍、特に非常事態宣言が出ていた大変な時でさえも、西野亮廣エンタメは形を変えて、エンタメを自分たちファンに変わらず届けてくれていました。
震災で被災した時も、エンタメは必要、エンタメに助けられたと考える自分にとっては、本当に有り難かった。

誰も出口が見えないこういう時だからこそ、せめて気持ちだけでも滅入らない、負けないようにするために、エンタメの力は必要だと自分は強く思っています。

#エンタメ #エンターテイメント #西野亮廣エンタメ #コロナ禍 #コラム #エッセイ

貴重なお時間の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 駄文ながら一生懸命書かせていただいていますので、またいらしてください。