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「これが宝塚歌劇団です」と強気でいられる時代ではない...のかもしれない件。

とある地方の女子高生がアメリカの名門大学に現役合格した。

SNS上で本人の発信も何度か見たし、その過程とサクセスストーリーを「金なし・コネなし・語学力無し」と言った触れ込みで書籍が出版された。

ところが「金なしコネなし語学力無し」と謳ってた彼女は、地方では1番の進学校だった事、親御さんが有名大学を卒業しコネクションもあった。事実かどうかはさておき「サクセスストーリーを語っておいて恵まれてるやないか」と炎上した。地方名+大学名事件と揶揄され、彼女はSNSのアカウントを消した。とても暗い気持ちになったし、ショックを受けてしまった。

よくある炎上案件とは違う。彼女が努力したのは事実。失言や法に触れる事をした訳ではない。彼女本人より過剰なサクセスストーリーを作り出す周囲の大人が悪いと思う。ありのままの努力を残せばいいのに。

こう言う事が度々炎上すると、若い子達は努力で夢を叶える事を諦めてしまうのではないか?夢や努力を語る事が今後ますます軽視されるのではないだろうかと言う事を危惧する。努力をする事自体が恵まれた環境にある者の特権。親ガチャと言う言葉は嫌いだけど、このまま日本の経済が悪化していくならば、ますますこの「生まれ持った環境」のスタートラインが明確になるだろう。サクセスストーリーには憧れるが、一発逆転するには一定の経済力や環境が無いと成しえなくなるのでは?と危惧する。

スタートライン。

宝塚歌劇団になぞらえると「決して経済的に恵まれてはいない一般家庭の子」が受験をする事も出来ていた。一般的なサラリーマン家庭で、ご本人はアルバイトをし、ご家族がレッスン代や色々な工面に苦労した。みたいな話はよくある。一昔前の「一般的なサラリーマンの家庭」と違い、受験をさせてあげられるだけの経済力のある家庭は確実に減っていると思う。これはスポーツにも起き得て、一昔前ならば庶民でも近所の少年野球チームやサッカー教室ぐらいは習わせられる。その結果、才能を見い出し特待生やスカウトなどのチャンスを得る。オリンピック選手やプロ選手だって、皆が皆恵まれた裕福な家庭だった訳じゃない。

一昔前より「逆転のサクセスストーリー」のスタートラインにすら立てない。経済的に「とりあえずやらせてみる」事すらできない。スタートラインすら立てない人が増えて来た中で、整った環境にある人の夢や努力に対し「素敵だな」「私も頑張ろう!」と言う気持ちを持てない。もしそう言う人が夢を語るなら「でも実家が太いじゃん」と醒めた目で見てしまう。SNSの見過ぎ、と言われるかもしれないけど我々の肌感覚よりきっと多いんじゃないかな。

そしてもう1つ、この傾向はこの1年ぐらい…半年ぐらいか。とてつもないスピードで私たちの常識は常識ではなくなるし、憧れとする対象は変わって来ているのだと思う。全く持って追いつかない。そんな事が増えた。私が単に年を取ったからではなく、目まぐるしく変わっているのだと思う。

少し前に「宝塚音楽学校の不文律が廃止される」と言うニュースがあった。

これ、週刊誌のゴシップ記事ではなく全国紙に掲載されたのだから、何でそんな事をわざわざ全国紙に載せるのだろう?と疑問に思っていた。大多数の人はどうでもいい事だ。受験するような子はその辺の同世代とは違って肝が据わっているだろうし覚悟している。中の人達が納得していれば放っておけばいいのにと思った。

この記事が出た当時、かつてのOG達が「あのルールがあったから舞台に立てた」「成長できた」「苦楽を共にできたし乗り越えられた」と反論した。でも、世間からしたら「電車に敬礼って意味があるのだろうか」「上級生の前で笑わないとかハラスメントじゃないか」と言う声が多い。

かつては「音楽学校ルールあるある」で笑えていた。よくOGがバラエティ番組で披露して笑っていた。が、今は自分達の内部で納得し収まっているルールでは済まない。世間の目・世間のルールから見てどう感じるのか?

これは他の演劇やスポーツとかでも同じだと思う。部活とかもそうで、傍からは過度な指導・ハラスメントではないかと思うが当人は「厳しい指導があったから成長できた」と言っているのと同じだと思う。当人同士が納得していれば良かった時代ではない。内部ではうまく行っていても、世間の常識から見てズレていたらアウトなのだ。

今はとにかく「世間の目」なのだ。

たかだが学校のルールが変わりました。週刊誌のネタレベルの話が全国紙に掲載された。外部から突っ込まれたのかもしれないし、受験を志す当人/保護者の不安の声が届いたのかもしれない。放っておいても1000人も受験生が集まる時代ではない。宝塚歌劇団はこう言う世界だ。その厳しさを理解し覚悟した者だけが受験しても良い。強気でいられたのは一昔前の話だ。今の時代は理不尽なルールはないですよ~出来るだけ不安を取り除いて安心して受験してくださいね。とアピールしないと受験生の確保は難しいのかもしれない。だからわざわざ全国紙の記事になったのではないかと思っている。

憧れとされているものがとてつもないスピードで変わってくる。

OGさん達も自分たちの思い出話・笑い話を語る場で、周囲はドン引きしているみたいな事が起きるかもしれない。例えば厳しい上下関係。厳しいと言ってもそこには愛がある。生徒さんやOGから語られるエピソードの数々。ファンは理解しているし微笑ましいエピソードとされる事も「世間の目」から見ると…と成りかねない。同期同士の家族のような密な繋がりに憧れるか、同じ釜の飯を食う事に美徳を感じる時代ではなくなるかもしれない。未来のタカラジェンヌが夢や努力を語る姿を「でも実家が太いんでしょ」と醒めた目を向けられるかもしれない。

作品や表現におけるジェンダー観のアップデートよりも、目まぐるしく変わる世間の価値観に宝塚歌劇団の在り方が迎合されるのだろうか?

「これが宝塚歌劇団/音楽学校ですから」と強気でいられる時代ではない。

そんな修羅場、何度も何度も乗り越えて来てるだろうが、今の令和の課題はまた一味違う。100年以上の伝統とらしさを維持しながら、未来に目を向け、世間の目と照らし合わせながら存続しているのだ。劇団内部の方々には頭が下がる思いだ。

この考察に対し「何が言いたいのか」と聞くのはご法度として欲しい(笑)

色々考えたって特にオチはないしオチを求めている訳じゃない。だって私が劇団内部の人間でも政治家でもないから、何を変えれるって事は無いもの。こうやって思考するのがヅカポタさんの癖だと思ってくれたらいい。

私が出来る事は、出来るだけ若い子達に夢や希望を持って生きて欲しい。そう願う事だ。夢や希望を持ち努力をする事は誰にでもできる権利であり、本来はスタートラインなんて関係ない。でも、今の経済状態だとそうは言えない現状も理解している。努力をしても報われない閉塞感もある。私一人ではどうにもできないけど、選挙には欠かさず行くぐらいの微々たる行動を起こして、周囲に居る若者を鼓舞し支えながら、微力ながらでも未来の頑張る若者を応援したいと思っている。