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「節分と鬼について思うこと」


私が古神道の修行をさせていただいている講(修行場)では、毎年節分に鬼送神事と呼ぶお祀りが開かれています。

節分の次の日の立春では、気学で、干支が変わり本当の意味での正月に当たり、節分は大晦日と捉えることができます。

その新しく始まる前の大晦日に、新しく始まる新年が健やかに成長する年になるように、前年までの世の中と自分自身の中に漂っている罪穢れを祓います。

この時に、世の中に漂っている人の失望や悲しみなどをまとっている罪汚れの想い(鬼と呼ぶこともできる)を祓いますが、その時に、お供え物を整え、祝詞を読み、最後に「天の神 地の神 人の神心 はらい清めて すべて神なり」という歌を歌いながら、鬼も神様として丁重にもてなし、祀ります。

一般世間で言われている「悪い鬼は外」と言って、豆で追い払うことはしません。

鬼と言う言葉は、古神道では強いという意味で、悪いものということではないことを学びました。

実生活で考えてみると、心が強く、真っ当なことをする人は、時に徒党を組んで横暴なことをする人から疎まれて、言われのない仕打ちを受けることがある。

多数の声に押されて、誰にも理解されず一人、自分に恥じないように生きて、誰にも理解されずにこの世を去った人もいるだろうと思います。

また、誰にでも人には言えない悩みややり場のない想いなどを抱えて、一人で頑張っていることはあると思います。

そんな時、1人でも、「本当は真っ当に頑張っているんですよね」と認めてくれる人が現れれば、その人は、救われるように思います。

実際、自分ではどうすることもできない流れの中で、私もそのような経験をしたことがあるので、これは誰にでもあると思います。

生きていれば、その機会に会うことはまだありますが、亡くなった方は、祀りとして、しっかり、礼を尽くし、重んじる必要がある。

それが、節分の大きな意義だと、古神道に携わり学び、まだまだ日は浅いですが、思います。

なので、節分の日は近所の小さな神社でも、節分祭が開かれていることが多いので、鬼に思いを馳せて、礼を尽くす、世の中になれば、いいなと思います。

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