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旅、ニート、文章力。

ニーマガVOL.2を読んだ。※数週間前の話


全体のボリューム感もさることながら、僕は盛り上がるニーマガ界隈から少し離れた空間に取り残されたように、ひとり打ちひしがれる気分だった。
きっかけは最終章の下宿人氏が描いた『拝啓、叔父さん』を読んだからだ。
読後感を味わいながらしみじみ思った。自分にこんな文章は書けないな…そんな稚拙な感想だけが思い浮かぶ。

べつに今始まったことではない。
流木氏、彼が定期的に投稿するnoteの文章を読むたび、同じ感覚を味わってきた。


ニーマガメンバーに籍を置く両氏の文は、執筆経験の浅すぎる僕にとって、手の届かない領域を眺めている気分になる。

角幡唯介が沢木耕太郎の『深夜特急』を書評した際、その人気の秘訣は"徹底的なさりげなさ"にあると言う。
なんとなく言いたいことはわかる。
深夜特急を読む際はまるで自分が筆者と一心同体になってその場その場を見ている感覚に陥る。旅を歩む者の文章としてシンプルに出来が良い。

飾らず、さりげなく、それでいて現実の描写が繊細なのだ。

個人的な意見だが、流木氏/下宿人氏ふたりともがその文章力を有している。
旅。あるいはノンフィクションの世界を描く者として垂涎の能力と思う。

そんな力を持たない僕はTwitterで写真ばかり投稿している。
角幡唯介、服部文祥、石田ゆうすけ…僕が好きな登山家/冒険家/旅行記作家はそれぞれの著書に必ず写真を挿入していた。
写真は良い。機能的観点から見て情報伝達力が高いことは明白だ。
僕にとって写真とは、己の文章力の無さを穴埋めし、単純明快に旅情を伝えられるイチ道具に過ぎない(それ以上の意味は無いとも言えるし、だからこそ死ぬ気で写真をやってる人にシバかれても何の申し開きもない)。


宮崎県、青雲橋。
僕はこの情景を青い、雲、橋という単語で表現できる域に達してない。


冊子版ニーマガに写真を挿入する試みは実現していないが、そもそも文章だけで情景を描写できるレベルに達していただろうか?
Vol.2の長ったらしくつまらん己の文章を流し読みしながら悶々と考える。

うーん…やめよう。
ニートが文章力で悩むなんて真面目に文学をやってる人たちに失礼すぎる。

今回のニーマガVol.2では自分が経験した旅のひとかけらを描写した。
ほんのひとかけらのつもりだ。
台湾一周/青ヶ島脱出/和歌山300km走/数々の野宿旅…腐るほどバカな旅を駆け抜け、それぞれを記憶している。しかし発表に至るほどの文章力はなく、頭の中で留めておくに過ぎない。今後もずっとそうだろう。文章、写真…それらを凌駕する経験が己の内にある事実だけで満足してしまう。

無いものねだりをしてもしょうがない。いま観測できる己の持ち物に注目する。僕が持っているもの…行動力、体力、減りつつある貯金。この三つだ。
これらで実現可能な己の欲望を満たしていくことしかできないし、それで充分だ。



7月は北アルプスを10年ぶりに登山した。8月上旬は宮崎へフェリー旅行だ。当然これで夏を終えるつもりはない。もっと自由に、適当に、東へ北へ向かうつもりだ(打ち上げも兼ねて)。その次の9月は海外を予定している。

来年あたり、金銭を理由に就職という選択肢がちらついている。だからこそ今年いっぱいだけでも華々しく遊んでやろうという気になっている。なんだか人生みたいだ(無神論者の意見です)。


いろいろ書き散らしたが、文章力の高い旅を読みたい人は先に挙げた人の本を読んでみてくれ!↓




 


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