□□□とボードゲーム(1.0)〜「美は計測」という暴論めいて
前回の記事はこちら。
何回か芸術関係の書籍にふれて読んだり考えたりしておりました。
そろそろいい加減、自分的な見解でもあらわさないと。
くわえて、そろそろボードゲームにも絡めないとシリーズタイトル負けしているので、なんとかせねばなあと。
そんな今回でございます。
コントラポスト
ここ最近で多分一番メジャーともいえる美術入門の書籍『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』もチラ見しております。
章立ては15ありますが……どこまで読んでいるかというと……正直最初の2、3章で止まっている状況です。
第1章はルネサンス誕生以前をざっくりまとめている内容ですが、これがなかなか興味深かったです。
ルネサンスは「古典復興」なので、古代ギリシアの絵画や彫刻を手本としています。
その中で最も有名な手本が「クリティオスの少年」です。
紀元前480年頃に制作したそうです。
そして、こちらの像こそが「芸術における最初の美しい裸体像」として、お手本「基準作」としているそうです。
本書ではもっと詳しく書かれていますが、右足をやや前に出しての立ち姿なので胴体の中心が真っ直ぐではなくやや湾曲があり、このバランスによって像がリラックスして生命が宿っているように見えます。
コントラポストと呼ぶそうです。
前回前々回の記事で「アーティストは技術者じゃないの」と書きましたが、これを踏まえるとコントラポストをもつ「クリティオスの少年」はまさにものさしです。
ぶっちゃけてしまうと、「クリティオスの少年」を計測して数値化するとコントラポストが取り出せます。
みる方もつくる方も計測して、美しいとかそうでないとか判断しているのですから、ある意味暴論「美は計測」です。
だからAIなんでしょ
「美は計測」。
自分でも、ひでぇこと書いてるなあ、なのですがここ最近の状況「生成AI」を見ていると、どうも強ち間違いともいえない。
基本数値のやり取りの結果が、あの画像膨大増産で、ことによってはコンテストで優勝なんてことも起こる。
身もふたもないことを言ってしまうと、絵画とは「どんな色をどこに置くかの集積物」であり、突きつめれば、色彩は色素の濃淡に、位置は距離や座標に、要は数値に置き換えることができたのでAIが扱えるのだったりする。
まあ、恐ろしい話だがAI以前の絵画も同様だったりする。
モダニズム以前の絵画(例えば宗教画など)は、寓意を含んだ対象物を描いているのだが、そのもの自体に固有番号などをつければ数値になるし、もっといえば色彩よりもずっと解像度が粗い。
写真の発達によって今までの粗さじゃおまんまの食い上げになってしまう。
解像度の細かい色彩とか構成などに目が向いて違いを際立たせるようになった結果が、印象派などと呼ばれるようになった。
ざっくばらんに書いてますけどね。
好きも嫌いもAIで判断
いやいや数値だ計測だとか言っているが、そんな測ることなんて全部が全部できるわけがない。
たとえば、絵画のように美しいかどうかのほかに、好き嫌いの好みなんてどうなんだ、という話ですよ。
……と書いたもののアンケートを思い出すと数値化してるよね。
+2[とても好き]
+1[どちらかといえば好き]
0[どちらでもない]
−1[どちらかといえば嫌い]
−2[とても嫌い]
とか。
実際、AIに好き嫌いを判断させた実例があって、これがボードゲームの話だったりする。
以前記事に書いたCameleon Browne(キャメロン・ブラウン)さんである。
「Yavalath」や「Pentalath」を創造したAI「LUDI」を創造している。
実際にルールを創造する前に取り組んだのは「古今東西あるボードゲーム(主にアブストラクトゲーム)のなかで、面白いのは何かをAIで判断する」ことでした。
その準備や用意として、様々なメカニズムや要素などを数値化して対象のボードゲームを判断するように構成した。
数十の対象を調べた結果、
LUDI、連珠(五目並べ)が好きー
となったそうです。
「Yavalath」や「Pentalath」のような「n目並べ」のルールを創造しているのは、好きこそものの上手なれなのかは知らんけど。
ともかく、数値化できるのは計測する対象物だけではなく、計測をする計器である我々の感覚も同様なのです。
とりあえずの締め
まだまだこの先考えたいことがあるのですが、今回はこの辺で。
もちろん、AIでいろいろできるからといって世の中計測や数値化で全て考えられるわけではございません。
もろもろ今後の記事で。
次回はどうしましょ。
では。
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