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「著作権」の視点と「デザイン」の曲解した語源から、「アート(芸術)」と「画材」についていろいろ考えてみる

前回書いたnote、

「著作権」を「確定した虚偽(虚構)を事実化する権利」と仮説を立てて、いろいろ考えてみました。
記事の最後に、

「創作活動」は「事実を虚偽化する」という行為

かもね、と匂わせつつ締めました。
今回は、その回収に挑戦します。
なんとかやってみます。


「美学」ではなく「画材」から考える

発想のきっかけは、『中田敦彦のYoutube大学』の【アートの見方】を拝聴したことです。


この回で使用した文献は『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』です。

書籍では6人のアーティストに焦点を当てていますが、特に

マルセル・デュシャンさん
ジャクソン・ポロックさん
アンディ・ウォーホルさん

後半の3人については、ある共通項に気づきました。
この人たちの「打ち破った常識」は、

彼らが使った「画材」

ではないかと。
「画材」に注目できたのは、著作権について考えているときにたびたび引っかかっていた「応用美術品」と関係があります。


応用美術品と純粋美術品と実用品

珍ぬのnoteは、ほとんどボードゲームやパズルの話題です。
その中で「著作権」関連の記事も結構書いています。
「日本だとボードゲームに著作権はない」と考えていますが、著作権法での「応用美術品」の扱いをその根拠にしています。

日本での知的財産法の適用の考え方ですが、工業製品になりうるものは極力それに当てはまる法律(意匠権や実用新案法など)で扱いたいようです。
で、応用美術品は、

美術品といえば美術品だけど
(たくさん製造できるので)
実用品といえば実用品

という中間的な位置づけです。ですが、ほとんどは「実用品」と扱って著作権法の範囲外にしています。

で、ちゃんとした美術品……言い方が変ですな……美術品としてしか扱えない……これも言い方が変ですが……純粋な美術品を「純粋美術品」として著作物として扱います。

ややこしいですが、

応用美術品でも純粋美術品並に扱えるものは、著作物になり得る

ということです。
ところで、その線引きって、誰がつけるの?という疑問もあります。
疑問を持ちつつYoutubeを見まして、それからいろいろ連想してみた結果、「画材」という発想に至るわけです。
「画材」とはそもそも何かというと、

絵を描くための道具

です。
ですが、「画材」の常識を覆すとともに、美術品の常識も覆っていきます。

デュシャンの『泉』

もう100年以上前の作品になってしまいました。

20世紀最大の問題美術、と言っても過言ではない『泉』こと男性用小便器です。……あれ?男性用小便器こと『泉』です?
まあいいや。
2020年現在の状況では、そんなに驚かない作品かも知れません。

単なる「便器にサインをしただけ」ですから。

しかし、ちょっと変な深堀りをします。
なぜ驚かないのか。おそらく、

色紙にサインをしただけ」

と同じ感覚で見れるようになった、のかも知れません。

色紙は「画材」です。ということは、
便器も「画材」だと捉えているから驚きもしないということです。

つまり、極端に言えば

ありとあらゆる「実用品」は「画材」である

ということです。
この作品以降、「レディメイド(既製品)」という実用品そのものを美術品として扱ったり、いくつかの実用品を組み合わせてみた「シュルレアリスム(超現実)」な美術品がボロボロ登場します。


マグリットの『これはパイプではない』

次の出番はポロックさんですが、その前にYoutubeでは登場しなかった、別なアーティストの作品について書いてみます。

ルネ・マグリットさんの『これはパイプではない』です。

1個のパイプが描かれていて、その下にフランス語で「これはパイプではない」と書かれています。

この絵に描れたパイプは「絵」なので、確かに「パイプ」ではありません。
さて、パイプを別の言葉に言い換えてみます。

「これは実用品ではない」

これでも、ほぼ同じになるかと思います。
……思いますが、何かイメージがちょっと異なると感じるのではないでしょうか。
おそらく、「実用品」にかかるのは「パイプ」だけではなく「絵全体」にかかっているように感じると思います。

では、それを踏まえて。

ポロックの『ナンバー1A』

中田敦彦さんがYoutubeでも語っていますが、ここに描かれたものは

撒き散らした絵の具

です。
さて、1つ質問です。

絵の具」とは、
画材」なのでしょうか?
それとも、
実用品」なのでしょうか?

さらに、『これはパイプではない』的に質問すると、

この絵画『ナンバー1A』は、
「これは実用品ではない」でしょうか?
それとも
「これは画材ではない」でしょうか?


……えーっと……ありゃ?
……混乱しつつ、答えを出さないまま、先へ進みます。


「Design」の語源

以前のnoteで、「スポーツ」の語源を曲解して考える記事を書きました。

で、今回も似たようなことを書きます。ただし、元ネタがしっかりあります。
ヴィレム フルッサーさん著の『デザインの小さな哲学』です。

この本に「Design(デザイン)」の語源について、著者独特の解釈が書かれています。
そこらへんの内容や解説は、松岡正剛さんの『千夜千冊』1520夜でも書かれています。

では、「デザイン」の語源について書かれている箇所を引用します。

デザインがどういうものであるかということは、「デザイン」という呼称の由来にヒントがつまっている。デザイン(design)という言葉は、ラテン語のデシグナーレ(designare)から派生していた。「表示する」「指示する」「計画したことを記号にあらわす」といった意味をもつ。デザインは指示や計画に始まるのだ。またこの言葉はその綴りの中に「しるし」(signum)を含んでいる。サイン、シーニュ、記号、図標を含んでいる。が、早合点をしてはいけない。
 多くが勘違いしているようだが、「しるす」ことがデザインなのではない。そうではなくて、de-signareは語源的には「脱・しるし化する」ということなのである。「しるし」によって何かから脱却していくということだ。この「脱・しるし」に「デザインする」の最も母なるところがあらわれる。

「脱・しるし」。
これってどういうことなのか、自分なりに少し解釈してみます。

例えば、ここに「コップ」があります。
このコップに、「イチゴ」の絵を描き入れます。
つまり、この「コップ」は「イチゴ」のデザインが追加されました。
………あれ、何が脱・しるしなんでしょうか?


「イチゴ」のデザインをされる前のコップは
無地」だったのでは?


そう、「無地」というもともとあったサイン(しるし)が脱落してしまったのです。
さらに言えば、「イチゴ」が描かれる前と後では、「コップ」のもつ意味合いが変わります。

デザインされる前、
「コップ」は「無地」である
はずだったのに、
デザインされたことで
「コップ」=「無地」ではなくなった

のです。

さらにもう一つ「コップ」の例を考えてみます。

今度は「コップ」に取っ手を付けます。
これは、コップというより「マグカップ」かも知れませんが、まあ「コップ」とします。

ここで脱落したサインは何でしょうか。例えば、

「熱いものを入れると持つのが大変」
というサインが脱落した

とみることもできます。
便利になるということは、不便が脱落する。
発明も「デザイン」と変わらないかも知れません。


芸術家(アーティスト)と「脱・しるし」

さて、デュシャンの『泉』に一旦戻ります。

この作品では「実用品」を「画材」にしたのですが、脱・しるしの観点であたらためて捉えると、

「実用品」というしるしが脱落して「画材」というしるしが加わった

といえます。
ポロックを考える前に「画材」を振り返ります。
この記事で割合前半に、画材を「絵を描くための道具」と説明しました。
しかし、一方で

絵を描くための実用品

とも言いかえられます。なので、ポロックで問いかけた

絵の具」とは、
画材」なのでしょうか?
それとも、
実用品」なのでしょうか?

これは、結局のところどちらも正しい。
実は、1つ選択肢を隠しました。それは、

「絵の具」とは「美術品」でしょうか?

です。
そうなると、ポロックの『ナンバー1A』も、マグリットの『これはパイプではない』も結局の所は、

この絵画は、「これは美術品である」

ということです。
………ひどい意地悪ですね。

しかし、これこそがアーティスト(芸術家)の本来の行為、

「美術品」というしるしを加えるために、
「画材」というしるしを脱落させる

つまり、
事実(画材)を虚偽(美術品)化する」行為

ではないかと。

さて、そう考えると「応用美術品」に著作権を適用させるのは単純で、

「これ、美術品です」
と言い切ることです。

言い切れれば、応用美術品どころかこちとら純粋美術品だぞ、文句あるか、となります。

………なるのか?


長くなりましたね。
おまたせしました、最後のアーティストにまいります。

ウォーホルの『ブリロ・ボックス』

noteだとエメさんが、ウォーホルさんについて書いています。

ウォーホルさんの使う「画材」は、

「ブリロ」という洗剤の商品
「マリリン・モンロー」などの写真

になります。……というのは半分そうかも知れません。
残りの半分について考えたいのは、「画材」の使い方です。

商品や写真などを「画材」にするのは、例えばコラージュでも使っているアーティストは過去にも存在しました。
ウォーホルさんは、

・単一の「画材」を大量に複製して並べる
・第三者に製作させる。

ことをしています。つまるところですね、ウォーホルは、

「ブリロ」という洗剤の商標権
「マリリン・モンロー」の肖像権など

知的財産権を「画材」にした最初のアーティスト

です。
ウォーホルさんの作品については「アートなのか、アートでないのか」という議論がされます。
その議論によって、どんな知的財産権を適用するのか決めます。

つまり、ウォーホルの作品は議論の「対象物」なのです。

ところが、逆にその議論するための概念を「画材(対象物)」にして作品にしてしまう。

……すっごいややこしいことになっていますが、まあそういうことです。

これ、まとめるの?

えーっと、とてもまとまりません。申し訳ない。
アートについて考える視点は様々あると思いますが、こんな変な見方もあるよ、ということで冷ややかにすませていただけると、助かります。

えらく長くなってしまいました。
今回は、これで区切らせていただきます。

というのも、……今回の流れで、もう1人あれこれ考えてみようかと思います。

これも『中田敦彦のYoutube大学』で取り上げられたアーティストです。



バンクシー。

では、そのうち。

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