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イタリアで学んだ「技」の学び方

イタリアで何か技術的なことを学んだことのある方であれば共感いただける方も多いかと思いますが基本的にどんなことでも受け身でいると何も学べません。

日本での一般的な教育システムであれば何かを教わるというのは基本的に受け身で、言われたことを忠実にやっていくとそれを学べるという感じだと思う。手取り足取り教えてくれてテキストなんかもしっかり準備されていたり。。。

そんな気持ちでフィレンツェに来た自分は痛い目に合う。
課題を出されて最初に簡単にやり方を見せてくれて「はい、スタート!」となる。最初はただ、ポカーンとしてしまいただただ時間が過ぎていくだけ。
やってみるもわからないところなどが上手く聞けず結局最後、適当に手直しをされておしまい。
自分の身にはほとんど何も残らない。
このシステムに馴染めない他の留学生は学校にクレームを出したりすることも少なくない。

「何も教えてくれない」と。

でも数ヶ月でこのやり方を意外とすんなりと受け入れることができた自分は何かを学ぶ時、ただわからないと質問をする前に自分の中で答えのシミュレーションをするようにした。
例えば修復の作業で欠損パーツの復元をやっていて難しい箇所があるとする。
それを「ここはどうしたらいいですか?」
と聞く前に自分なりにこうするのではという推測をしておく。
それから質問をしてみると答えてくれたことがその推測とまったく合っていなかったり近かったりとそれはいろいろ。
まったく合っていなかった場合でも自分はこう考えたんだけど、としっかり伝えてみる。
おそらくそういった答えは先生としては慣れていて、「それは違う」ではなくてどうしてその間違えに至ったかを教えてくれる。
そんなことを繰り返しているとそのうち質問の答えと自分の推測がしっかりとリンクしてくるようになる。
それがきっと「技」がしっかりと自分の中に入ってきた証拠だと思う。

ただ受け身で教わるのではなくしっかりと自分でも考えながら学ぶ。
ディスカッションが中心のイタリアでの基本教育はそういった部分に優れているのではないかと思う。

子供の頃、先生は正しいと思い込んでいたけれど大人になってみると先生と呼ばれる人にもいろいろな人がいることを知る。

自分の意思を持って何かを学ぶ事でしっかりと自分の中に「技」として残ると思います。


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