不登校ってだめなの?
公立中学校で社会科教師をしているshokoです。現在は、中学校3年生の担任をしています。
今年度の学級には不登校生徒が多いです。
放課後登校や週に1回ほどの登校の生徒を含めると5人ほどいます。
先日ある先生に「あなたの学級の課題は不登校生徒が多いことだよ」といわれたことが心に残り、本当にそうなのか?と疑問に思ったので不登校に関して記事にしました。
私の不登校経験
私は、高校時代に不登校になった経験があります。地元の進学校に通っていた私は、型にはめられた集団生活に嫌気がさしていきました。
行き過ぎた校則「高校生らしく」という言葉。
何度も耳にしました。
進路指導は、進学校なので国公立〇人と打ち出すことが、学校の魅力にもつながるのか、私立を志望しているのに公立を受けさせるなど、数字にかなりこだわっていることに違和感を覚えました。
本当に生徒のことを考えているならば、その生徒はどうしたいのか何を目指しているのかを大切にしたうえでその道につながる手段としての進学であり、生徒の選んだ道を応援することが大事なのではと高校生ながら思っていました。
毎日追われている やらされている課題で息苦しく感じていきました。
そんな日々の中、窮屈になっていき、この状況についていけない私はだめな人間ではないのかと過食症、心が壊れていきました。
私の心が弱かったというのももちろんあるでしょうが、教員になってからある通信高校の先生に「そう思っているのはあなただけではないよ」という一言から、私だけではなく苦しんでいる子ももっとたくさんいるのではないか、この苦しさを私だったらわかってあげられるのではと思い教員になりました。
学校で不登校生徒と関わって
教員になると、たくさんの不登校生徒と関わりました。相談室に毎日通い、給食の時間は教室から給食をもらいに来ている子、週に2,3日学校に来ている子、完全に学校に来ることが難しい子…。
不登校となる理由はさまざまでした。
集団生活が合わない、学校に行くと息苦しく感じる、みんなでというのがつらい、人と関わることが怖い、なぜかわからないけれどいきたくない。
みんな同じではありませんでした。
はじめは「その気持ちわかるよ」と共感をしていましたが、そうではないと気づきました。
学校に来ることが難しい理由はそれぞれで、たとえ私が不登校を経験していたとしても、本当の意味では分かっていないかもしれない。
「そうか、~って感じたんだね」と受け止めるようにしました。
私は教員としてどんな関わりをしていけばよいのか、すごく悩みました。
ある年は、放課後登校を毎日して、一時間ほど一緒に本を読んだり簡単な勉強をしました。
ある年は、社会と理科は教室に来て、あとは相談室で過ごそうとしたこともありました。
どの子に対しても共通して「その子自身はどうしたいのか?」を生徒、保護者、関わりのある教員の方々と話し合いながら進めてきました。
その中で印象的だったのが、教室に行かないと選択した生徒でした。
相談室登校をしていたのですが、年度が替わり、新しい環境の中、学校に来ることが難しくなっていきました。週に一度、放課後登校を行いながら、普段は家や学校外に出向く日々を送るようになりました。
その生徒は、放課後私に一週間の出来事をいつも楽しそうに話してくれるようになりました。
「こんな本を読んだよ」
「歴史の幕末が気になって調べてみた」
「アクセサリーを作ったから先生にプレゼント」
「コーヒー講座に行ってみた」
それをいつもわくわくしながら聞いている自分がいました。
生徒の保護者の方に「shoko先生は学校に来なくてもこうやって娘のことを認めてくれて居場所をつくってくれてありがたい」といわれたことが印象的です。
学んだことは、学校だけが学びではないことです。
自分自身の知りたいという気持ちを行動に移して、講座に出かけたり、家でアクセサリーを作ってみたり、本を読んで自然と家庭科、理科、社会と関連させながら学んだり。
それが学びなのではと気づかされました。
学校外でも学校で、全員で同じように授業を受けることだけではなく、疑問に思ったこと気になったことを調べ経験の中で学びは、得ることができます。
その生徒は、学び方を選択したのだと私は思いました。
今後の学びの在り方
文部科学省のデータによると、小中学校の不登校生徒数が増加傾向にあります。
それが今の日本の実態です。
学校に行かないという選択、行きたくても行くことができない、それぞれの生徒に抱えていることがあり、不登校というくくりではなく、その子自身と向き合っていきたいです。
結論として、不登校は良い悪いの問題ではないかなと私は思っています。
学校も大切な学びの場であり、多様な人とかかわりあいながら集団の中で経験ができると思います。
学校という環境に、何か来れない理由があるのであれば、解消できるように動いていきたい。
でも学校だけではない理由はそれぞれで、学校以外の選択をしたっていいと思います。
学ぶというのは生きる糧になり、幸せに近づくと思います。
たとえ学校に来ることができなくても、多様な人と関われて、学ぶ環境、そして安心できる居場所が複数あって、学び手自身が選択できる社会になっていくことを願っているし、そんな社会を私は創りたいです。
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