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果報は不思議なタイミングで、ある日不意にやってくる。

ここ数週間、Instagramに作品のアップをしたくて何を載せるかを考える
Upするに当たって情報を整理しようと思って、メモの整理をしてる
メモの整理について、パソコンをつかって管理しようとして、思うように行かず調べたり教わる

ある程度、できるようになるので、あとはひたすら地味に整理を続ける。
来る日も来る日もやってて、だんだん整ってきて載せられそうってなってくる。

なんでこんなことやってるのだろうと思い始める。整理とかいいからとっととUpしちまえよ。とも思う。
たぶん、Upしてもすぐに飽きるのだ。ちょこっと反応があって、そんなもんかで終わるのだ。
何かを期待してやってることも、思うような結果は、すぐにはでないものだ。

でも、これまでに数えるほどだけど見返りはあった。
miineにUpしておいた作品を見たと言って、仕事の依頼があり、報酬がもらえた。
テレビ局の人が番組で使いたいからと、連絡をくれた。結局使われなかったけど、お菓子を包んで持ってきてくれて、うれしかった。
直近だと、有料で本に作品載せますって話が来て、参加することになった。

初めて仕事を得たときのことを、書いてみようと思う。
得たきっかけは未だになぜなのかわからない。運が良かったとしかいえない。
前後にやって覚えてることは、お社の掃除の手伝いにいったこと。トラブルがうまく解決するようにお祈りにいったことだった。

minneに作品をUpして何年か放置してた。始めこそ作品を載せて、作品詳細とか配送方法とか、書いて、日々反応の様子を見てた。
でも、minne内でもフォロワーたくさんつくとか、交流が生まれるみたいなこともなく、反応が無くて熱心さが失せて、ただアカウントだけ持ってる幽霊部員のようだった。

依頼が来た前のことは覚えてる。
iMacの調子が悪く、なんかよくなるかもと思ってHDDを載せ替えようとした。
FusionドライブをSSDに載せ替えようとして、お金がかかるから自分でやってみようと、普段やったことないのに、無謀にもトライした。
youtubeなどで情報を仕入れ、おそるおそる、かつ大胆に、本体とモニターの画面の間にマイナスドライバーを突き立てて剥がし、分解を始めた。

エアダスターで吹くと、たまった埃がいっぱいでてきて、少しうれしかった。
必ずしも解説画面通りではない配置を、他のサイトの情報で照らしながら補い、こわごわ試したHDDの載せ替えは、うまくいかなかった。
緊張して作業したせいで、うまくいかなかったことに疲れ、なぜうまくいかないかの理由を探る気力は失せていた。

元に戻そうとしてる作業中に、モニタを割ってしまった。不調のまま使い続けてれば良かった。無理せず有償で修理に出せば良かった。いろんなことを思った。

作業をするのに、いろんなサイトを見て情報を集め、しっかり睡眠を取って体調を整え、近所の神様にお参りにも行った。お風呂で身体もキレイに洗い、キレイな服に着替え、静電気を除くように金属に触れてから作業にかかった。「うまくいきますように」とお祈りもした。

載せ替え作業とその復帰は何日かかかった。その期間中に、ご近所さんから、お社のお掃除を手伝ってほしいと話があった。iMacの作業が気になりつつ、それどころじゃないんです。って断ろうとも思いつつ、おつきあいもあるし、と迷いながらお手伝いに参加してきた。

掃除に参加したその日の夜、放置してたメールをたまたま見た。
普段全然連絡のないアドレスで、そういうのって毎日見てない。なんでその時見たのか、後にしてみれば不思議だった。
 「minneのメッセージ欄に一件のメッセージが届いてる」という案内のメールだった。内容は「作ってほしいものがあるのですが、、、」みたいな書き出しの問合せだった。

初めて問い合わせで、うれしくて、喜んだ。でも、冷やかしかなとか思った。どんな内容かと、メッセージ欄でやりとりを続けた。
でも、どんどん具体的に話が続いていって、直でメール送ってもらうようにして、やりとりを続けた。
材料を送るから、その素材で作って、とか、作った物を送り返してほしい。いつまでにほしくて、代金はいついつ支払う。契約書のような物が送られてきて、書いて送り返したりした。
数日の間に、作った物の途中経過を画像で送って返事のやりとりをし、完成物を送って、修正や追加の依頼があってそれも送って終わった。

後日、約束の金額が指定の銀行口座に振り込まれていた。そしてさらに数ヶ月後、自分が作った物が、商品パッケージに印刷されてるのを、実際の店舗で見た。

来るときは来るもんだなと驚いた。ずっと放置してたユーザページだった。依頼がある前とか前月とかに手入れとかした訳ではなかった。作品も申し訳ないけど、10以下ぐらいしか載せてなかった。
 他の作品や作家さんもたくさん登録してるのに、なぜ自分に連絡が来たのだろう?。
この一連の流れが、神様の思し召しのように思えてならない。近所の社をお掃除したから、そこの神様が運を授けてくれたのだと思えてならない。

とはいうものの、作品を載せて無ければ見られることは無かったし、作ってなければ載せることもできないし、思うだけで作らなければ完成しないし。

noteやってても、たくさんスキが付く人か、フォロワーがいいっぱいいる人いる。一般的に、数が多いイコール得るものが多い的な発想を、性急に結びつけて思いがち。少ない人はおいしい話も、得なこともないと思いがちな。

でも、数が多くても、数が多いだけの人もいるかもしれないし、少ないのは、いろんな依頼があったりして忙しくて更新できないのかもしれない。noteにしても他のSNSにしても、日常の一部でも、見えてるのはその人の一面だけでしかなく、自分から見えない部分はいっぱいあって、そこで忙しいとか、充実してるとかあると思う。
つい、わかりやすいから気にしがちだけど、あまり気にせずどっしりと構えられるように行きたい。

どこで誰がみてるかわからず、いつどのタイミングでそれがやってくるかわからない。やれることをやってたから、得たと思うので、ちまちま続けたいと思う。
準備や支度は地味で、根詰めすぎるとしんどいんだけど、やっとけば忘れた頃にいいことあるから。って思ってやってる。
準備があって結果がある。火のないところに煙は立たない。下げずに載せて置いたから見てくれる人が居た。お祈りしてたから運が開けた。

テレビに作品を出しますって依頼は、今すぐにってタイミングでメッセージが来てた。30分前に来てたメールに気付いて、胡散臭さを感じつつも、反応して手を出した自分がすごいと思う。

このときだって、その前とかにメールをチェックしてた訳では無く、何ヶ月も放置してたのに、たまたま見たら、気付いた。

有料で本出すのだって、最初は、迷惑メールに入り込んでたし、そのメールはスパムすらほとんど来ないアドレスで、作ってから何年も放置気味な経ってるアドレスなのに、何故かその時目についた。

読んでみたって、これまでだったら、胡散臭いってスルーするのに、今回は何故か信じた。

いくらやってやるって気持ちがあっても、話しが来なくてできないことはいっぱいある。
話しが来ても、胡散臭いって片付けたり、やるかやらないか迷ってるうちに締め切られてたり。
そのタイミングで手を出したら、ちょっとだけ得をした。とかちょっとだけ、ワクワクできたとか。タイミングをつかむつかまないのも、結果が出て思うんだけど、なぜその時に?と不思議だ。

ともかく、見せられる物を用意するにはそれなりに準備がかかって、やってもすぐに結果で無いことが多いけど、忘れた頃にいいことあるって思ってやっていきたい。



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