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愛でる体験で繋がる、一番平和なSNS(菜園ネットワークサービス)をつくる。

今年もまた一つ歳を重ねました。

この数年、この時期に文章を書こうと思い至る機会がなかったのですが、なぜだろうと思い返すと毎夏は100BANCHのナナナナ祭というお祭りに出店していたので、いつも通りの完徹でアクアポニックスのプロダクトを作っていたか、作り終わって疲労と緊張がほどけて爆睡していた時か。そんなこんなの理由でいつもバタバタしていて、いつの間にか誕生日が過ぎていたんだと思い出しました。

100BANCHはパナソニックが2018年に創業100周年を迎えることを機に構想がスタートし、パナソニック、ロフトワーク、カフェ・カンパニー、が協業して誕生した、次の100年に向けた「未来の実験区」

今年のナナナナ祭、私は様々な事情により今年の参加を見送りました。優先すべき事案を先延ばしにしないための決断でした。主にコロナが理由です。おかげさまで「何をしないか」を改めて精査・判断・実行し、新しい仕込みを始めています。

新しい仕込みとして何を作ろうとしているかを簡潔に言いますと、
「つくって, たべる人 を増やす」ための園芸の記録シェアサービスです。
ここに至った背景と出来事を自分の頭の整理も兼ねて書いていきます。

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背景①
まず、3月にローンチしていたβ版サービスの集客が想定より上手くいかず、コロナの影響も加わったことで長期戦を強いられる状況になりました。手元が潤沢ではない我々にとっては長く、厳しい戦いとなることが予想されたので別のアングルから攻めるために考えられる様々な角度を模索していました。そんなタイミングで日頃からお世話になっている恩師から頂いた言葉によって大きく前へ進み出すことになります。

コロナ禍の中で、家庭菜園が俄にブームになっているとも聞きます。また、コロナ禍で感じたことは、物流が途絶えたときでも、ある程度の食料を作り出せるポテンシャルを都市がもっていることは、重要だということです。こうした流れの中、素人同士が助け合うクックパッド的な存在は重要かと。助け合いだけでなく、新しいアイデアを披露する自己満足もありますし、そこから、既存の農業には無い新しいアイデアが出てくるかもしれません。

背景②
次に「農薬vs無農薬という二項対立の構造」です。つい最近の農業界で起こった出来事が頭の中で交差しました。コロナ禍で大きく伸ばした生鮮品のECサービスです。サービス自体のことではなく、出品される野菜のどこからが無農薬になるのか?という表記問題です。具体的には、

「”無農薬”という表記は、消費者の優良誤認を引き起こすのではないか」
「”無農薬”という表記を売り場で認めることで、お金をかけて認証を取得している生産者が損をするのではないか」

このような議論が事の発端でした。ここについて私見を述べても仕方がないですし長くなるのでポケットマルシェさんがこの問題に真摯に真正面から向き合い、素晴らしいnoteを書いてくれています。ご興味がある方はこちらをどうぞ。

話は戻りまして、私がここで考えたのは農薬vs無農薬という二項対立の構造が行き着く先がどこなのか?です。

農薬を使う、使わないというのは農家さんの栽培品目や耕作面積、高温多湿な日本の環境などなど様々な要因が絡んでおり、それぞれの経済合理性のもと使用の判断をされていると思います。なのでここが対立構造で語られる限り交わることはないと思います。素晴らしい科学技術のブレークスルーと経済性の両立があれば話は別ですが、まだ時間はかかると見ています。

この手の議論は小さな火種も含めると全国各地で年間5万回(私見です)は起こっているのではないかと思います。

①と②が立て続けに起こり、以前考えていた仮説が蘇ってきました。

この対立構造が平行線を辿るのであればここは置いておいて、消費者が「作る」というプロセスを理解することのほうが一見長いようで一番近い道なのではないか?

こんなことをふと思ったわけです。

消費と生産の距離を近くするために家庭菜園は有効な手であろうと。これは日々農家さんと話す中で頭の中にあった考えで唐突に出てきた訳ではありません。

そこに飛び込んできた①と②の出来事、そして③新しい生活の土台となるコロナ。

自粛生活で一気に伸びたキッチン、ベランダ、畑での家庭菜園を一過性で終わらせず、作るというプロセスに価値を置いたもの、今後もコロナによって左右される新しい日常生活の"新しい選択肢"を作ろうと考えました。

・・・

「愛でる」を繋ぐ、家庭菜園のコミュニティサービス

名前は駄洒落でつけただけですが、「つくって、たべる人を増やす」ことを目指しています。既存では菜園の記録サービスは多くありますが、ここでは単につくるための記録サービスではなく、「みんなでつくって最後はみんなで食べる」ために一緒につくります。最後の食べるシーンではオンラインクッキングイベントだったりみんなのレシピで調理したり、オフラインであれば収穫した野菜を物々交換する交流があってもいいかもしれません。

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表向きは家庭菜園の記録シェアサービスにしか見えないかもしれませんが、Day1 の種まきから収穫、そしてみんなで「いただきます」をするDayX まで見えるようになっています。生活に変化を取り入れたいなと思いつつ一歩踏み出せなかった人や、栽培途中でどうしたらいいか分からなくなる人たちのためにもコミュニティ機能やあなたと同じ作物を栽培している全国のプロ農家さんにアドバイスをもらえる機能を充実させる予定です。

- コミュニティフォロー
(おもしろいコミュニティをウォッチ ex. みんなで薬草を栽培しながら収穫したあとはみんなつくる薬草茶でほっと一息する薬草コミュニティ)
- プロ農家からのメンター機能
(迷ったらいつでもアドバイスを聞けちゃう)
- グルーピング機能
(一人で始めるのって不安ですよね、何人かでチームを組んで育ててみる)
- ゲーミフィケーション
(これまでどんなものを育ててきましたか?栽培した品目を登録するともらえるプロ菜園ナーのバッジ)
- 園芸資材のレビュー機能
(みんながどんなアイテムを使っているのか口コミをチェック)
- 楽しく学べるコラム
(親子で楽しめる植物や野菜の不思議をコラムや動画で発信)
- 収穫した野菜を物々交換
(収穫すると大量に獲れるのでそんな時はみんなにお裾分けしてみよう)

と、まあ挙げればキリがなくて妄想ばかり広がるといけないので、世界で一番平和なSNS(菜園ネットワークサービス)を作っていきます。もしテストユーザーになってくださる優しい方がいらっしゃったら是非ご協力をお願いします。(唐突)

家庭菜園の記録/共有サービス「農とブック」のテストユーザー募集

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さいごに、これを書いていると最初に話したナナナナ祭のオープニングトークイベントの話がふと耳に入ってきました。第二部セッションのどこかで前後にどんな文脈があったか忘れてしまいましたが、

・「つくる」ことよりも「つくるプロセス」が大切
・これからの作り手は、作り手に寄り添う人であるべき
・エンドに届くアウトプットが価値ではない=価値をつくるプロセスが変わっていく
・誰を想って、何を想ってつくるのか?
・人間が自然を愛でる気持ちは100年後も失くならないし、失くしてはならない。
・自然と人間との共棲(シンビオシス)関係が深化する。

という言葉がグッと刺さり、言葉の鎖がふわふわ浮いていた点を繋いでいくような、そんな気がしています。うん、言い過ぎかもしれない。

なぜこれらの言葉が刺さってくるのか。
思い返せば、3年前に渋谷のド真ん中から始まったアクアポニックスが目指す世界で伝えたかったことと同じだった。それは異種が相互に理解し合いながら共棲する里山だったし、実際にみんなで創り上げてきた。渋谷にだってラスベガスにだっていつだってどこだってみんなで創り上げてきた。

イマと三年前。進化しているのか退化しているのか、前なのか後ろなのか斜めに進んでいるのか。生まれ変わっているのか戻っているのか?私自身もわかりません。

でも毎年訪れるこの祭と誕生日が交差する日に、いつも何かが生まれ変わってゆく。

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