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パパとひとちゃんの4年間

13歳になったばかりのある日、パパとママの雰囲気が変わりました。

それが最初何かが分からなかった。
でもママが発した言葉でわかったことがあった。

「パパ、うつ病になっちゃったの。実はもうお仕事辞めたんだ。暫く入院することになった。」

…うつ病?
その病名は聞いたことがある。
ツレがうつになりましてって本あったよなぁ。
それで聞いたことある。

で、パパはうつ病?
つい最近まで普通に夜勤行ってたよね。
家のその空気に違和感しかなかった。

パパがうつ病になり、パパは精神科に入院した。
週末ママとパパの病院に行ってパパに会いに行っていた。

パパは春に退院した。
それから起こることも知らずに。

私が知ってるパパはずっと働いてる人だった。
パパはずっと夜勤。顔を合わせるのは夕方だけで20時にママと「パパいってらっしゃい!」とお見送りしていた。それだけ。

そんなパパ、私は本当のパパを知らなかった。

パパは様子がおかしかった。
ママがいないところで私に対して罵声を発するようになった。
でもそれは「病気」のせいだと思って過ごした。
私はパソコンでうつ病について調べていた。
少しでもパパが嫌がることを言ったらパパは自殺してしまうのではないか。
だから何も言えなかった。

彼氏ができた。
はじめての彼氏で嬉しかった。
ママも喜んでくれた。
でも、パパの機嫌が悪い日にこんなことが起きた。

「お前の悪いところを今から彼氏に送る。メールアドレス教えろ。」

私は流石にそれはできないと断ったけど「送る」と怖い顔つきでずっと言っていた。
仕方なく教えた。パパは彼氏に長文らしきものを送っていた。
彼氏にそのあと「パパから変なメールが来てるかもしれない。無視してね」と送った。
パパは「病気」だ。だから、何も言っちゃダメ。
何度も言い聞かせてた。

中学3年生になった。
パパの罵声は酷くなっていった。
ママの見えないところでパパから自分を全否定されて「私は生まれてこなかったほうがよかったんだ」と思うようになった。

生まれてはじめてリストカットをした。

血が出ている。
痛い、痛いけど心の方が痛い。
精神の限界を感じたので、私は徐々に家に帰ることが嫌になり学校にたてこもることが多くなった。

「ひとちゃん、どうしたの?最近」

へらへらと作り笑いしながら過ごしていたけど、担任の先生は見抜いていた。

つい最近切った腕を見て、刃物を預かるからといわれリストカットは一度で終わった。

それから担任の先生に毎日話を聞いてもらっていた。
安堵で涙が止まらなかった。

そんな担任の先生がママに「おじいちゃんおばあちゃんの家に一時的に避難させてもらってもいいですか」と交渉してくれた。

私は一時的におじいちゃんおばあちゃんの家に避難した。

家に帰ることの安心感。
ママのご飯と違った意味で美味しいご飯。
パパがうるさくシャワーを最低限にしろと言われていたお風呂もたくさんシャワーを浴びることができた。
ふかふかのおふとん。
そして罵声なんて浴びずに済む環境。

居心地が良かった。
ずっと住みたかったけど、そう言うわけにもいかず。なので家に帰った。

「なぜそっちの家に行った」
パパはそう言った。
私は色々考えて答えていたけどパパはまた罵声を私に浴びさせるようになった。

高校受験が控えた日々。
私には行きたい県立の高校があった。
偏差値も自分に合ったレベルで行ってみたかった。
でも家からだとバス乗って、電車に乗る。
通学方法はこれになる。

パパは「交通費かかるから却下だ」と言い放った。
そしてパパが選んだ高校に私は進学した。

優しいお友達もできた。
でもおうちとパパは変わらず。

私のお小遣いは5000円だった。
その中で医療費、雑費をやりくりしていた。

「ママが可哀想だから自分で弁当を作るのは当たり前だ」

パパはそう言い、私は毎朝5時に起きてお弁当を作っていた。
きちんと料理をするのはこれが初めてだった。
ママは「パパのいうことは気にしなくていいんだよ、ママが作るよ」と言ってくれた。
でも、キッチンはパパの部屋の隣。
ママが作ったなんてバレたら…また怖いことが起きるに違いない。
お昼休み、友達のお弁当と自分の弁当を見比べて、心が痛くなった。

梅雨に入った。
大雨と強風、雷が続いたのでお小遣いから地道にバス代に回していった。
気がつくと、お小遣いはなくなっていた。
大雨の日、流石に自転車で行くのは危ないと思いお小遣いを確認したら交通費の片道分も無かった。
家にはパパしかいなかった。
パパに「ごめんなさい。今日はバスで行きます。片道の交通費をください」と言った。
パパは大激怒した。
「お小遣いを管理できないお前が悪い。ひとりで歩いて学校に行け」
そう言い、私は片道1時間大雨で濡れながら学校まで歩いた。
着くと、担任の先生が遅刻で大激怒した。

…私はそんなに悪いことしたのかな。

私の精神状態は既におかしくなっていた。

翌日。
溜まってたものが何なのか…分からないけど、爆発した。
私、学校辞めたい。
パパの監視下でこの学校へあと3年弱いられる気がしなかった。

担任の先生に電話をかけた。
「私、学校辞めます」
担任の先生は突然のことだったので、「何を言ってるの?早く学校来なさい」と言ってきた。
私は爆発していた。
「嫌です。行かないです」
絶対に言わないような言葉をスラスラと言っていた。

パパもママも大激怒した。
パパは当たり前だけど、ママは何も知らなかったから理由がわからない。
怒って当然の話だった。
私は紙に思っていること全てを書いた。
それをママに渡した。

ママは理解してくれた。
それから退学にあたって学校で面談が数回行われた。

担任の先生は最初にパパと話していた。
そのあと、私と面談。
パパの話をしたら「あのお父さんがそんなことするわけないでしょ!」と怒ってきた。
何もかもが信じられなくなった。

なんとか言って、私は無事学校を辞めて通信制高校へ編入した。
それからバイトをこなしつつ、レポートという課題を進めていくことになった。

10月のこと。
パパに呼び出されてパパの部屋に行った。
「学費と携帯代、合わせて60万。返しなさい。月にいくらずつ返済するか考えなさい。」
私は一生懸命、そこで計算した。
「月に5万ずつ返します。それでよいでしょうか」
すると、パパは「土下座しなさい」と言った。
突然のことで訳がわからなくなったが、土下座して「月に5万ずつ返します」と言った。

それから私は返済のためにたくさんシフトを入れるようになった。
土下座したり、罵声を浴びたり。
思考回路は徐々におかしくなっていった。

12月頭、私は仕事に行く日なのに起きれなかった。
ママが心配し、私の部屋に入った。
「ママ、動けない。」
そう言ったら、ママは泣き崩れた。
「直ぐに精神科予約してあげるからね、ごめんね」
何度も謝られた。

そのあとパパは呼び出された。
パパは「こいつは病気じゃない」と言い張る。
そして、いつも穏やかなママが初めてパパに怒った。

私はそれから精神科に通院することになった。
上京するまではママがいつも付き添いしてくれた。

私の初診は「うつ病」だった。
血液検査をしたり、1時間くらい色んな検査をした。

処方箋は抗うつ薬と睡眠導入剤だった。

気づいたら私はうつ病になってたみたいだ。
それがいつからだったのかわからない。
パパが本当に怖かったのかもしれない。

どうか、私のような思いをする子供が増えませんように。
どうか、私のような思いをする人達が増えませんように。

パパと私の4年間。

ひとちゃんはそれを願ってます。

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