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関根千佳氏 「UDベンチへのあらぬ誤解」がはらむ排除の言説

 福岡市内を歩いていると、真ん中に仕切りがついたベンチをよく見かける。いわゆる「排除ベンチ」「意地悪ベンチ」と呼ばれるベンチだ。
 90年代の東京・新宿で起きたホームレス排除のために突起状の構造物を公共スペースに設置する流れを汲んで、ベンチに寝転がることができないように、仕切りが付けられていったものである。
 私自身、このベンチを街で見かけると、生活に困窮している人への排除の意思を感じとり、なんとも嫌な気分になり、問題意識を持ってきた。

 このことの詳しい経緯や、福岡市の担当者の主張、専門家の分析、ホームレス支援に取り組んできた抱樸の奥田知志さんの意見などをNHKが5月に特集として放送した。

この記事の前半を要約すると、次のようなポイントを挙げることができる。

  • 仕切り付きのベンチは「ユニバーサル都市・福岡」という福岡市の施策の一環で設置されている。

  • 仕切り付きベンチは、「浮浪者などがベッド代わりに使用でき」ないようにする目的を明記して、30年前に実用新案が登録されている。

  • 福岡市の担当者(福岡市地域福祉課長)は、仕切り付きベンチを設置している理由について「ご高齢の方などが立ち座りしやすいように、補助する目的」と説明している一方、排除ベンチという指摘は「認識がある」と回答している。

 その内容に反論しているのが、関根千佳氏である。関根氏は、株式会社ユーディットという会社の会長を勤めているほか、いくつかの大学で非常勤の教員の職にあるようだ。ユニバーサルデザイン関連の著作も多数著している。

 この「UDベンチへのあらぬ誤解」というnoteの投稿と、同氏のFacebookへの投稿とその返信には、問題のある記述が散見された。正直、大学に教員として職がある、つまり研究者ーーしかもユニバーサルデザインという社会福祉の分野でーーであることを疑うような内容だった。
 ここに忘備録として、その内容と、私が考える反論を記しておきたい。

 まず、記事の冒頭、次のような記述がある。

福岡市のUD委員会では、長年かけて、当事者の声を集めて、まちなかにベンチを設置する運動を進めてきた。コストや景観などを不安視する行政に対し、一つでもUDなベンチを増やしてもらうよう、何年もかけて取り組んできたのだ。このベンチには、真ん中に手すりがある。立ち上がりを支援するためだ。妊婦さん、高齢者、ケガをした人、障害のある人にとっては、この真ん中の手すりこそが、命綱なのだ。

https://note.com/csekine/n/na332abb79869

 ここで言及されている「福岡市のUD委員会」とは、ネット上で検索する限り「ユニバーサル都市・福岡推進協議会」のことだと思われる。福岡市のウェブサイトに掲載された名簿には、関根氏の名前が記されている。
 この記述をそのまま読めば、関根氏は行政とともに「仕切りのあるベンチ」の設置を推進してきた立場だということだ。
 そして、こう続く。

NHKで2024年6月18日に放送された番組は、そのような当事者の願いや設置の経緯を全く無視したものだった。そして当事者を悲しませたのが、この手すりがホームレス排除のためとする内容だったことだ。誰かを排除するために作ることなど、断じてありえない。排除されてきた側が、少しでもインクルーシブな社会になることを願って作ったものなのだから。

https://note.com/csekine/n/na332abb79869
太字は筆者

 ここで驚愕するのは、「誰かを排除するために作ることなど、断じてあり得ない」という部分だ。
 排除のために作ったのではないとしても、本当にそのことが頭の片隅にもなかったのだろうか。「排除ベンチ」という指摘は、少しGoogleで検索しただけでも、次のようなものが出てきた。

 このような言説を、ユニバーサルデザインを専門とする研究者が知らないとは、にわかには信じられないが、仕切りのあるベンチの導入を推進するにあたって「誰かを排除するために作ることなど、断じてあり得ない」と断言している。

 先に挙げたNHKの記事は、次のように締め括られている。

今回の取材を通じてもうひとつ浮かび上がったのが、知らず知らずのうちに社会から「排除」されることの怖さです。

https://www.nhk.or.jp/fukuoka/lreport/article/002/05/

 まさに関根氏の断言は、自分の関心領域から抜け落ちた他者を「知らず知らずに排除」していると指摘せざるを得ない。取材者が意図していたかはわからないが、記事への反論によって、意図しない排除の実例をあぶり出してしまったとも言えるだろう。
 
 関根氏のFacebookの投稿には、閲覧者からのコメントに返信する形で、次のようなコメントもあった。列挙する。

108人のホームレスのために、5000万人が便利に使っている手すり付きのベンチを撤去する方向に進まないことを希望します。

 まず、今年4月に福岡県が出している「ホームレスの実態に関する全国調査(福岡県分)の概要」によれば、令和6年1月の調査で、福岡市のホームレスの数は106人である。研究者であるならば、データの取り扱いには正確を期していただきたい。また、手すり付きベンチを便利に使っているという「5000万人」の根拠も全く示されておらず、主張に説得力がない。

新宿駅西口のベンチが、ホームレス対策で置かれたのは聞いたことがありますが、福岡でこのベンチを推進したときは、その発想は全くありませんでした。UD委員会の当事者メンバーの思いをふみにじられたようで、ものすごく悲しいです。

 新宿西口エリアを中心としたホームレス排除の流れの中で、排除の意図を持ったアーキテクチャが数多く設置されたことを認識しているのであれば、仕切りのついたベンチの設置を推進する際にそのことを発想しないなど、福祉に携わる研究者の姿勢としてにわかには信じられない。悲しむ前に、認識の甘さを反省すべきだ。

日本全国でホームレスが眠れるよう手すりなしを推進し、高齢者や障害者が使える手すり付きは、車いすトイレと同様に、ごく少数にするようになるのかも。。手すりのあるベンチは事前にネットで存在する場所を調べてから外出することを義務付けるとか??全てのベンチは、まずホームレスのために!

 この記述に関して言えば、あからさまなほどのホームレスへの敵意が示されている。「全てのベンチは、まずホームレスのために!」などと皮肉めいて発言する人物を、福岡市は「ユニバーサル都市・福岡推進協議会」の委員に任命している。街に排除ベンチが溢れることも、納得の事実である。

空港は何日間でもそこでホームレス状態になる可能性はありますが、少なくとも福岡でこのUDベンチを提唱した障害当事者チームは、公園で何日も泊まる人に非難されるとは夢にも思っていなかったと思います。悲しいです。

 「公園で何日も泊まる人」がなぜそのような状況に追い込まれるのか、全く想像せずに排除ベンチの設置を推進していたことを吐露している発言である。関根氏にとっての「ユニバーサルデザイン」とは、多様な人々を包摂する概念ではなく、あくまで立ち座りが不自由な人に限ったものなのであろう。

私たちが福岡市でこれを導入した議論の中では、行政側としても、全く排除の意図はありませんでした。それを排除のためだったんだろうと言われることが悔しいのです。

 「排除ベンチ」に関する議論がこれだけある中で、行政がそのことを議論していないこと自体が問題なのであり、悔しがるのはお門違いである。

ホームレス側からそのようなクレームが行政に出たことは、私の知る範囲では一度もありませんでした。

 行政に「排除ベンチ」だという指摘が届いていることは、NHKの記事で福岡市の担当者が認めているところである。関根氏が知らないだけだ。それとも、「ホームレスからの直接のクレーム」でなければ認めないという、歪んだ当事者性を追求するのだろうか。

 といったように、関根氏の言説は、とても研究者とは思えないような、視野の狭い、自己認識中心の主張で構成されていることがわかる。このような認識で、「NHKの良識を疑う。反省してほしい。(可能ならNHKにこの声を届けてほしい!)」などと言われるNHKの取材者が気の毒だ。

 記事の本文には次のような記述もある。

ホームレス排除という意図だったと、ねじまげて報道するのは全く許せない。特許の話も、完全な曲解である。なぜこのベンチを使って有難い、助かったと思っている高齢者や障害者、妊婦側の意見を一切聞かないのか。

 確かに、今回のNHKの取材では、仕切り付きベンチを便利に使っているという人の声は、ごく一部しか取り上げられていなかった。しかし、「ホームレス排除という意図だったと、ねじまげて」いるだろうか。
 「ホームレス排除のためのベンチと言われている〜」のような伝聞調の報じ方だったならば、まだ関根氏の主張も理解できるが、今回の特集ではホームレス排除を明確にうたった実用新案を発見し、仕切り付きベンチの成り立ちを紐解いている。
 こうした事実がある以上、報道の内容を非難するのではなく、そのような経緯を持ったベンチと特徴を同一とするベンチを、その事実を認識することなく「ユニバーサルデザイン」として導入を推し進めた自らの行いにこそ反省を促したい。

 ちなみに、関根氏が会長をつとめる会社の事業案内には、次のように書かれている。

⚫︎企業や行政の製品やサービスを、女性、子ども、外国人、高齢者、障害者などを含む多様な市民・ユーザーに対し、より使いやすくするための、共同研究やコンサルテーションをいたします。
⚫︎多様なユーザーに使いやすいことをアピールし、より販路を広げるにはどうマーケティングすればいいのか、市場調査やコンサルテーションをいたします。

http://www.udit.jp/outline/outline/#:~:text=事業内容,やコンサルテーションをいたします%E3%80%82

 つまり、関根氏の信じる「ユニバーサルデザイン」を行政に売り込むことは、氏のビジネスなのである。

 実際、福岡市に関してだけでも、先述した「ユニバーサル都市・福岡推進協議会」の委員の他に、「ユニバーサル都市・福岡 ビジネスセミナー」の講師「ユニバーサル都市・福岡賞」選考部会長、などもつとめている。
 これらの委嘱に福岡市の公金がいくら費やされているのかは、今回調べた公開情報の範囲ではわからなかったが、この辺りを考慮して、関根氏の主張は理解する必要があることを付言しておく。

 今回のNHKの記事には、次のような記述がある。

福岡市の住宅街にある公園。長いベンチには高さ10センチほどの仕切りが5つ連なっていました。

このうちせめて1つでも取り外せば、少なくとも遊び疲れた子どもは寝そべって休めるのではないか。

一部がもし、もう少し高さのあるひじ掛けならば、お年寄りや障害のある人も利用しやすいのではないか。

尾方教授や奥田さんが言うように、ユニバーサル、多様性は、極論ではなくその間のどこかにあるのかもしれません。

https://www.nhk.or.jp/fukuoka/lreport/article/002/05/

 関根氏の主張は、自らが関与してきたベンチについての批判的角度からの報道に対して、あらゆる「極論」を駆使して反論しているようにしか思えない。その中には、これまで指摘してきたように、排除の言説が溢れている。
 私自身も、正直「排除ベンチ」を見るたびに感じていた強い違和感から、それを便利に使っている人の存在には思いを馳せることができていなかった部分があることは否定できない。
 この記事から得た視点は、二項対立的に異論を排除するのではなく、頭を柔らかくして考えましょうということであった。いろんなベンチがあっていいのだ。今のように街中に仕切りがついたベンチが溢れているから、それが「排除ベンチ」だという指摘を受けている。誰もが使いやすいように、いろいろな形のベンチが街に溢れるようになれば、きっとそんな批判も消えていくことになるだろう。

 仕切りのついたベンチは、その機能によって、私たちの行動を制限している。これは、人間の内面に関わらず、人の行動を物理的に制限する「環境管理型権力」だと言えるだろう。環境管理型権力としての「排除ベンチ」の社会への実装が完了すれば、今でいう「普通のベンチ」は姿を消し、比較可能性がなくなり、私たちは無意識のうちに権力に規律されていくことになる。排除ベンチの問題は、監視社会の問題でもあるのだ。

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