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UDベンチへのあらぬ誤解

障害があっても、高齢でも、外に出る必要がある。そんなときに、とても頼りになるのが、まちなかのベンチだ。青信号を時間内にわたるのが難しかったり、長く立っているのが難しい人にとって、目的地までの途中で、少しでも座れる場所があれば、というのは長年の夢だった。私は今では歩けるが、人工関節の手術前は痛みがひどく、15分も歩けない数年間があった。どこかに座りたい。でも、立ち上がれるかどうか不安だ。外出はいつもその葛藤があった。
だから、福岡市のUD委員会では、長年かけて、障害当事者の声を受けて、まちなかにベンチを設置する運動を進めてきた。コストや景観などを不安視する行政に対し、一つでもUDなベンチを増やしてもらうよう、障害者団体は何年もかけて取り組んできたのだ。このベンチには、真ん中に手すりがある。立ち上がりを支援するためだ。妊婦さん、高齢者、ケガをした人、障害のある人にとっては、この真ん中の手すりこそが、命綱なのだ。おさるのベンチの出典

だが、NHKで2024年6月18日に放送された番組は、そのような当事者の願いや設置の経緯を全く無視したものだった。そして当事者を悲しませたのが、この手すりがホームレス排除のためとする内容だったことだ。障害者側が誰かを排除することを意図してこの設置を依頼したことは、断じてありえない。長い間、排除されてきた側が、少しでもインクルーシブな社会になることを願って作ったものなのだから。でもそれは理解してはもらえなかった。
FBに私が書いた記事を転載する。

(ここから)
今朝のNHKを見ていたら、福岡のUDベンチを非難する番組があって、あまりのNHKの無理解に驚愕、落胆した。この番組を作った人は、けがをしたことも、妊娠したことも、子連れで外出したことも、高齢者と散歩したことも全くないのだろう。このベンチは、「立ち上がりに困難がある人の動作を支援するために」考案されたもので、北欧などのインクルーシブパークには普通に設置してある。
すぐ隣に、特に真ん中に手すりがあることで、私のような足の悪い人は、立つときが本当に楽なのだ。けがをした人や妊娠した人、子どもを抱いて移動したことのある人はわかると思うが、座るときよりも、立ち上がる時の方が、はるかに痛みや困難が伴う。だから、電車で席を譲れらても、感謝しつつお断りすることがあるのだ。降りるときに立ち上がれず、降り遅れるかもしれないと思うと怖くて座れない。長い列の電車では特に、横に手すりがないため、立ち上がれないので大変なのだ。まちのベンチでも、誰かが端の手すりのそばに座ってしまったら、立ち上がりには使えない。だから真ん中に必要なのに。片麻痺の場合もあるから、両方が必要だ。こういった人々の痛みを、このNHKは、何一つ取材していないので、全くわかっていない。ホームレス支援側の意見しか聞いていない。福岡市への取材だって、当時の経緯を全く知らない人に、それもUDの担当ではない人に聞いている!
私たちは、高齢者や妊産婦のために、立ち上がりやすいUDベンチの普及に尽力してきた。福岡だけでなく、神戸でも大阪でも京都でも、UDベンチを提言してきた。デパートや駅、街の中にも、ほんのわずかな時間でも座って休める場所があれば、妊婦も高齢者も、もう少し歩くことが出来る。50歳以上が日本の人口の半分になった、世界最高齢国家日本では、社会インフラとして不可欠なものだと思ってきた。子育てのしやすいまち、健康寿命を延ばせる街のシンボルとして推進してきた。
それを、ホームレス排除という意図だったと、ねじまげて報道するのは全く許せない。特許の話も、完全な曲解である。なぜこのベンチを使って有難い、助かったと思っている高齢者や障害者、妊婦側の意見を一切聞かないのか。NHKの良識を疑う。反省してほしい。(可能ならNHKにこの声を届けてほしい!)

NHKの記事へのリンク

(ここまで)

ホームレスの方の意見はどうなっているのだろう?確かに西新宿の座りにくいベンチは私も嬉しくない。だが、デパートの中やスポーツ施設の屋上など、夜は使われないところのベンチも、手すりを撤去して欲しいと思っているだろうか?
ホームレス側にも、またこれを推進してきた障害者や高齢者にも、直接取材しないままこのようなネガティブな番組を作って流すことは、ユニバーサルな社会の構築を阻害する。子育てが楽になる社会、健康長寿を延伸できる地域社会を、NHKも共に目指してほしいと思う。

(追記:この番組以降、UDベンチを進めてきた障害者や行政側に、排除主義者であるというネット上のバッシングが起きた。大変残念なことである。障害者や高齢者が外に出ること、見えない存在から見える存在になりたいと願ったことは、一部の人にとっては、過大な要求に見えるのだろう。障害者側は、何百年も排除されてきたので、その状態にも、がまんすることにも慣れている。ただ、2000年ごろから設置を望んだ手すり付きのベンチが、誰かを排除することにつながるとは、障害者側にはまったく思いがけないものだったことだけはわかってほしい。不勉強と言われても仕方はないのだが、障害者側は、この特許のことも全く知らなかったのだ。98年頃からスロープやエレベーター、点字ブロックや誰でもトイレを日本で進めてきた。だが、それらのUDももしかしたら、誰かを排除し、悲しませているのだろうか。私たちが知らないだけなのだろうか。深い闇に落ちた気がしている)

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