造反ユーリ

謀反には、道理がある。 そんな心持ちで、日々オールドメディアの片隅に身を置きながら、生…

造反ユーリ

謀反には、道理がある。 そんな心持ちで、日々オールドメディアの片隅に身を置きながら、生活しています。 業務上知り得たことは、ひとつも書きません。

最近の記事

「チッソは私であった」と「責任」という言葉について

 福岡市の福岡アジア美術館で『水俣福岡展』が11月14日まで開催されていた。水俣病についての網羅的な展示とともに、連日充実した講演プログラムが展開され、私が参加した回はどれも満員となる盛況ぶりだった。  加害企業であるチッソをはじめ、地元行政や国による無責任な対応が被害を拡大させた公害事件「水俣病」。私は、数年前に水俣病資料館を見学した程度の知識しか持ち合わせていなかったのだが、「犠牲のシステム」の典型的な例でもあるこの事件について、理解を深めたいと考えた。  『水俣福岡

    • 辛そうな後輩を、革命家のところに連れて行った話

      まともそうな新人が入ってきた  私はとある日本の報道機関で働いている人間だ。幼い頃から「ジャーナリスト」に憧れ、今の会社に入り5年ほどが経ったが、自らを「ジャーナリスト」だと呼べるほどの仕事をしている実感もなく、自分の肩書きについてどう称して良いものかいつも迷ってしまう。  毎年、春になると新人がやってくる。オールドメディアの窮状を如実に示すかのように、この会社の就職市場での人気は年々下がり続け、人事が採用者の質を保つことに苦労していることは現場の末端にいる自分にも伝わっ

    「チッソは私であった」と「責任」という言葉について