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辛そうな後輩を、革命家のところに連れて行った話


まともそうな新人が入ってきた


 私はとある日本の報道機関で働いている人間だ。幼い頃から「ジャーナリスト」に憧れ、今の会社に入り5年ほどが経ったが、自らを「ジャーナリスト」だと呼べるほどの仕事をしている実感もなく、自分の肩書きについてどう称して良いものかいつも迷ってしまう。

 毎年、春になると新人がやってくる。オールドメディアの窮状を如実に示すかのように、この会社の就職市場での人気は年々下がり続け、人事が採用者の質を保つことに苦労していることは現場の末端にいる自分にも伝わってくる。
 そんな中で、今年やってきた新人に少し面白そうな男の子がいた。彼は東北地方の出身で、思春期に東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故に遭遇した。社会人を経験したのちに、大学院に進学し、その後なぜかこの会社にやってきたのだという。とても爽やかで、人から好かれそうな雰囲気を醸しだている人物であった。
 経費使い放題のバブル景気華やかりし時代ならともかく、定額働かせ放題こと専門職型裁量労働制が適用され、プライベートなどという甘い言葉は存在しない世界にわざわざやってくるのは、余程学生時代に何も考えておらず企業名を見て「聞いたことがあるから」といったノリで入ってくるサバルタンか、それなりの犠牲を覚悟してもオールドメディアが辛うじて持っているマスに情報を発信できる力を使ってやりたいことをやってやろうという変わり者くらいしかいないのである。

 彼はどうやら後者のようだった。青春時代に、生まれ育った地を直撃した原発事故という体験をきっかけに、社会の不条理だとか、それを生み出すシステムであるとかを報じる事によって暴きたいというような意識を持っているというような話を聞いた。
 そういった意識を持っていると、業界内では青臭いだとかなんだとか言われる訳であるのだけども、当局取材の馴れ合いの中で一度下げたズボンを永遠と上げられないようなバカばかりの中で、そういった意識を持った人がいなければ、調査報道であるとか、“権力監視”のような仕事は担い手がいないのであるから、貴重な仲間になるのではないかと微かな期待を抱くに至ったのであった。

絵に描いたように元気が無くなっていく

 新人の多くは、最初は警察担当になり、そこで取材の基礎を学んでいくことになる。これは、マスコミ一般に共通したことなのだと思う。完全な体育会系縦組織である一方、長年蓄積されてきたノウハウによって新人が突き当たる壁のようなものは、(それがいいか悪いかは別の話であるのだが)乗り越えられるように設計されている。
 ところが、彼が配置されたのは、一般的な新人コースとは違った部門だった。ある程度の基礎的なテクニックがなければこなせないような取材や、警察官なんぞよりも数十倍口を割らせるハードルが高いであろう取材先への対応を、彼はいきなり任されることになってしまったのだ。

 ただでさえ困難な状況を提示された彼に、私か
ら見ると更なる不運が降りかかっているように見えた。彼の担当部門の上司は、一言で言えば“俗物”。口をつくのは利益の話ばかりで、コンテンツ制作にあたっても薄っぺらい小手先のデコレーションのようなことばかりを要求してくる人物だった。
 このようなタイプの上司は、先に述べた「サバルタン」タイプを“使えるコマ”にしていくには向いているように見える。しかし、彼のような自分の目指す方向性を持った人間にとっては、その方向性をなんの納得感もなく変形させようとしてくる強烈なストレッサーになってしまうことは、自身の経験から痛感していた。

 案の定、彼は、日に日に表情が暗くなっていき、何かに怯えたような雰囲気を出すようになっていった。こうやって、人は鬱になっていく。
 このまま放っておいて、彼の貴重な20代の時間を苦しい時間として過ごしてもらうのはいたたまれないと思い、何か力になれないかと飲みに誘ってみた。以前から、彼と私にはある共通の関心があることがわかっていて、彼はある程度私に興味を持ってくれていたようだったので、誘いにも好意的に反応してくれたように見えた。
 しかし、最初に声をかけてから、飲みに行くまでには2ヶ月ほど時間が空いてしまった。上司からかかるハードな要求に、真面目な彼は応え続け、プライベートな時間を持てていないようであった。

「今は頑張ってやりたくないことをやろう」という呪い

 奇跡的に早めに会社を上がることができた夜、居酒屋で泡盛を飲み始めると、ほんの少しだけ彼の表情が和らいだように思えた。それでも、真面目で良い子な彼は、酒を飲んでも仕事上の愚痴など一切吐かない。「あんなに大変な仕事振られて、よく耐えているよね」などとこちらが差し向けても「自分が要領が悪いのがいけないんです」などと答えてくる。社内でも、社外でも職場の悪口ばかり言っている私は、彼がなぜそこまで負担を解放しないのかよく理解できないでいた。
 しかしながら、聞けば彼は今の仕事にやりがいは感じていないという。原発をめぐる問題について取り組みたい気持ちがある。しかし、何も分からない状態で入ってきたこの会社で、まずは上司に従って好きな取材をできる時を待つのだという。
 しかし、会社に従順になれば、やりたいことができるようになる訳ではない。むしろ、会社の都合の良いように使われるだけになってしまう。私は、そんな人ばかりをこの会社で見てきた。

 ドラマ『カルテット』や『エルピス』のプロデューサー、佐野亜裕美氏は自身の組織での経験をこう振り返っている。

 どれだけ自分の信じる正しさから離れていくようでも、まだ過程なのだ、だから大丈夫、と思えた。しかしいつの日かそれは「だから今は頑張ってやりたくないことをやろう」という自分への呪いの言葉になっていったのだった。
 それから数年が経ち、「やりたいこと」をやるためにがむしゃらにやりたくないことをやってきたはずが、気づいたら偉くなる前にその組織における道が閉ざされてしまった。
[……]
 たまたま観た映画で「やりたいことだけやっていていいですね」という言葉に対して主人公が、「やりたくないことはやらないだけなんです」と答えるシーンに出会った。ひどく胸を打たれた。そこで自分にかかっていた呪いの正体を知った。

佐野亜裕美「「エルピス」の先へ」」『文藝春秋』2023年5月号

 報道機関に入って、振られ仕事ばかりで自分の関心分野の取材ができない状況。それは記者やジャーナリストといった主体性を持った職能ではなく、傲慢な上司のコマでしかない。
 組織の中で出世を目指して、それなりに高い給料をもらって(と言っても、良いとこの商社にでもいけば20代後半で稼げるような額なのだが)天下りおじさんを目指すというなら、そういう生き方もありなのかもしれない。でも、そうではないなら、上司に嫌われてでも、自分のやりたいことを突き詰めていくべきなんじゃないか。そんな話をしている間、彼はずっと上司から届くチャットに怯えていた。
 私が伝えるうる限りの言葉を発したつもりだったが、全く伝わっているようには思えなかった。上司からの着信を受けて、彼が店の外に飛び出して行ったあと、居酒屋の大将に「どうしたの、そんなに大きなため息ついて」と言われ、自分を覆う無力感が想像以上だったと認識したのであった。

革命家の家に連れていく

 そんな時に、ふと頭に浮かんだのが、ある“革命家”の顔だった。あえて名前は記さないが、私と同年代の人ならば、ほとんどの人が見たことがあるだろう人物である。この革命家は、私が働く地域に拠点を構えていて、私自身、何度かイベントに参加して顔を合わせたり、飲んだりしたことがあったものの、名前を覚えてもらっているほどの関係性ではなかった。
 だけども、強烈に彼に革命家の話を聞いてほしい衝動に襲われてしまった。上司からの電話から戻った彼と入れ違うように、私は店の外に出て、その革命家に電話をかけた。「組織に従順になろうとしている後輩に、あなたの話を聞かせてほしい」。そんなことをいきなり頼めるような関係性でもないのに、不躾で一方的な会話だった。すると、革命家は「今から家に来ますか」と、驚くほどあっさりと応じてくれたのだった。
 彼は、その革命家のことを知らなかったが、無理矢理タクシーに乗せ、革命家の代表作である、ある映像を見せながら、町外れの革命家の拠点へと向かったのであった。

革命家のアジトへ

 タクシーの中で見た革命家の映像は、過激そのものな内容であったから、彼はどんなところに連れて行かれて、どんな人に会わせられるのか、心底心配している様子だった。(ちなみに、この映像の撮影にあたって、革命家はカラオケの個室でかなりの練習を積んだそうである)。
 30分ほどタクシーに揺られ、到着したのは公共交通機関のアクセスから離れた、住宅地だった。SMSで送ってもらった住所を辿りに何の変哲もない2階建ての一軒家に辿り着いた。
 私自身も初めての訪問だった。ノックして、電話で伝えた名前を名乗り、鍵のかかっていない引き戸を開けると、映像に映ってた強面の男性と同一人物だとは思えない、穏やかな表情の革命家が出てきた。挨拶を済ませると、「もっと暗い表情の人が来るのかと思った」とおどけて話す。突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくれているようであった。

 持参した焼酎の一升瓶を革命家に手渡すと、スーパードライのロング缶を見ながら、「これを飲んでからいただきます」と応じ、我々のためにコップに氷を入れて持ってきてくれた。当たり障りのない雑談を終えると、アジトの中を簡単に案内してくれる。4畳ほどの部屋2間に、壁面と部屋の中央に書架が置かれ、書籍と映画のVHSがびっしりと収められている。「読んでない本がほとんどだけどね」と革命家。VHSはレンタルビデオ店が処分セールをしていた際に、一本100円で大量に仕入れてきたらしい。
 書架にはまるで書店か図書館のようにインデックスプレートが挟まれ、ジャンル分けされて本が並べられている。革命家が年に数回行なっている学生向けの「合宿」の際に図書館がわりに使えるようにしているのだという。ノンフィクションから小説、学術書など、収めれている本の種類は多様だった。個人の家でこんな書庫を持っているのは、テレビで観た立花隆の家以外に見たことがなかった。

 畳敷の居間に通され、我々と革命家は幅1メートル半ほどのテーブルを挟んで向かい合った。彼は、映像で見た革命家と、目の前で話す革命家とのギャップに戸惑いを隠せない様子だった。

「武勇伝を話した方がいいと思ってね」

 革命家は、ゆっくりとしたペースでスーパードライに口をつけながら、「政治犯」として収監されていた経験や、刑事裁判の話を語り出した。

 原付のスピード違反で捕まったものの、反則金の支払いを拒み続け、なんと逮捕されるに至ったのだという。その後、正式裁判になり、革命家は「裁判を徹底的におちょくる」ことを決意。出廷した際に、裁判官の側から見ると「私はやっていません」と記されたTシャツを身に纏い、傍聴席側から見ると背中に「全部私がやりました」の文字が見えるという奇抜な作戦を決行するなどし、裁判官を激昂させ、地裁で求刑罰金1万5000円の8倍となる罰金12万円の判決を受けたらしい。法の下の平等とはなんぞやという、個人的な感情をむき出しにした判決である。控訴事実は、原付での20キロオーバーだった。

 この裁判の後日談も、フィクションのようなノンフィクションであった。
 担当判事だった男が裁判から8年後に、高速バス車内で女子短大生に痴漢行為をはたらいたとして起訴された。「私に不当判決を出した裁判官に屈辱を味合わせる」と、その裁判を革命家は傍聴しに行く。裁判中は、ほとんど傍聴席に目を向けなかったという被告人だったが、革命家は被告を凝視し続け、革命家を認識すると、歪めていた表情を更に歪めていたと、まるで噺家かのように語ってくれた。

 革命家は、別の事件で懲役刑にも服している。当時交際していた女性を、別れ話のもつれから叩いたとして傷害罪で起訴され、別の名誉毀損事件と併せて2年服役している。初犯だったというから、普通は不起訴、重くても執行猶予程度で済むであろう事件に思われるが、この時も裁判官をおちょくり、実刑になったのだという。

 刑務所での生き様も、凄まじいエピソードだった。
 まず、刑務所内でのいじめのリスクや、住環境を考え、独居に入ることを画策する。通常、独居は懲罰などの事情がなければあてがわれないが、懲罰になると所持品の没収などのペナルティが課せられてしまう。そこで、革命家はある作戦を立てた。囚人の人権擁護などを訴える「救援連絡センター」など複数の団体の機関紙を購読したというのだ。すると刑務所当局は、それらの内容が雑居房で他の受刑者の目に触れることを防ぐために、革命家は独居房へと移された。

 せっかくペナルティなしで独居に入った革命家であったが、なぜか刑務作業を拒否し、懲罰を受ける受刑生活を始めることになる。懲罰となると、文房具や書籍など、所持品を没収され、刑務作業を拒否している時間は座って廊下の方を向いていないといけないということになるらしい。しかし、そこは発想豊かな革命家。「最新請求をするため弁護士とやり取りする手紙を書く必要がある」と主張し、刑務所当局はこれを許可。刑務作業時間以外は、手元に文房具と参考資料として書籍を取り戻すことに成功したという。
 それだけでは終わらない。独房の死角に便箋やシャーペンの芯などを隠し、芯だけで筆記し、自らの伝記の執筆を進めたのだという。実際に、その時に書いた原稿を見せていただいたが、シャーペン本体を使ってもなかなか書くのは難しそうな細かい文字でびっしりと書かれていた。獄中でファシストに転向したという革命家は、ヒトラーのように獄中で伝記を記すという目標を見事に達成し、出所後この原稿をもとに出版を果たしている。

 こんな話を、小一時間にわたって聞かせていただいた。とにかく、話がうまい。面白い。引き込まれる。「権力と戦う」というと声を荒げ、深刻なイメージを連想するが、革命家はユーモアに富んだ発想で、徹底的に権力をおちょくりながら、自らの闘争を貫徹していた。
 一通り話が終わると、革命家は「僕は組織に属したという経験がないから、武勇伝を話した方がいいかなと思ってね」とはにかんでいた。後輩の彼は、呆気に取られて話を聞いていた様だったが、私のつまらない話などとは比較にならない、「集団からはみ出すことの面白さ」を伝えてもらった様に思えた。

余計なことをし続けようと思う

 このまま、朝まで語り続けることもできるような雰囲気だったが、翌日彼は上司に連れられて、中小企業の社長との“会食”に出なければいけないということで、この日はお暇することにした。

 同僚たちは「上司は厳しいけども、ついていけば成長する」などと、自分を追い詰めた顔をしている彼に無責任な言葉を投げかけ続けている。彼の顔を見ていると、自分が鬱になった時のことを思い出す。このまま壊れてしまうリスクがある様に見えるのであれば、彼の上司にとっては「余計なこと」なのだろうが、こっそりとこういう地下活動を続けていこうと思う。鬱って、本当に辛いから。

 帰りのタクシーで彼は「あそこまではできないけど、ちょっと変わってみようと思いました」と呟いていた。確かに、あそこまではやらないでいい。というか、あそこまでやるのは、ちょっとまた目的が違ってくる。
 だけども、絶対にはみ出せない様に見えてしまうレールの様なものは、本当はちょっとしたことで逸脱することができて、もしかしたら行き先はそちらの方が幸せや、やりがいが待っているのかもしれないということは、少しだけ伝えられたのかと思う。

 彼が変わったら、奴らはビビる!私もビビる。やりたくないことをやるくらいなら、ヤケッパチでやっていこう。どうせ、従順にやっていても何も変わらないんだよ!


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