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映画『彼は秘密の女ともだち』

ある日クレールは自分の夫に促されて、病気で亡くなった親友の夫と赤ん坊の様子を見に行った。その時、親友の夫ダヴィッドは女装していて…そこから始まる二人の友情というか愛情というか…そんなお話。要所要所の描写が美しい。

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この作品の何が好きかって、クレールが元からマイノリティに理解があった訳ではないところ。寧ろ偏見があったと思う。だけど、彼(彼女)と過ごしていくうちに自分なりに彼(彼女)のことを理解していく。だけど、やっぱりクレールにとって彼女は”彼”であり、そんなクレールをダヴィッドも理解し受け入れる。

わたしは所謂LGBTQ系作品の中でも好きなものがあって…その中の上位にあるのが『キンキー・ブーツ』『リリーのすべて』そしてこれ。わたしなりの解釈だが、これらは全て世間の偏見に立ち向かうなんて大それたことをしていない。結果そうなっただけ。

自分の身近にいる人、関わる人に向けてその存在を理解してもらおう、相手のことも理解しようと奮闘している。表現が適当かわからないけど身の程を知っているんだ。その存在を世界に向けて声高らかに叫ぶのもひとつの生き方でしょう。それも大切。しかしわたしは今までもこれからもそこに加わることはない。個人でならまだしも集団で行うというところに恐怖心がある。

その一方で、世界に向けて発信している人々のお陰で随分と生き易くなったと言う事実もある。その恩恵を受けていると言う自覚もある。

世の中には百人いれば百通りの考え方や受け止め方があって、その全部に理解してもらおう、全部を理解しようなんて無理だ。だからせめてわたしは自分の身近な人とわたしに関わってくれる人がふんわりでもいいからわたしの生き方を理解してくれるようにこれからもやっていく。

また、わたしもその人たちを理解しようと会話をするし、尊敬するし、その人たちの選んだ生き方を全力で応援したいし、わたしなりに寄り添いたいと思う。今、SNSの世界で関わってくれる新たな出逢いがあったから再見したくなった次第。

とまぁ、長々と綴ったが、このようなことを考える時間をもらえる作品だ。ラスト辺りは想像力が掻き立てられちゃうんだから。現実にこの二人のような関係を誰かと結べるならば幸せかも知れない。誰かにとっての”秘密のともだち”になれたなら…少し意地悪なおもいも過ぎる。観る人がそれぞれの解釈でこの結末を受け止めてね。と言う、オゾン監督からのメッセージだと思っている。