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不浄なる侵入

昨日まで東京にいた。

医者と、あと会えなかった人たちに会いに行ってきたんだ。お世話になってたお店とか全部じゃないけど回れたしよかった。

久しぶりの人たちもみんな本当に温かくてありがたかったし、最高の三日間だった。

一部を除いては。

二日目にあった元職場の先輩がそれだった。その先輩も僕の前にその職場を退職しているんだけど、久しぶりというので会ってみることにしたんだ。

職場にいたころからいい加減で面倒ごとを押し付けてきたり、ムチャぶりをしたりする先輩だったけど、根は悪い人ではないと思って。

会ってから間もなく言われたのが、病気に対して

そんなもん大丈夫なんだよ。自分でそう思ってるだけだって。

失敗したなって思った。会わなきゃよかったってその時すでに思った。

酒も飲めるんだろ?っていってたけど、酒が飲めるから大丈夫っていう尺度はどこから来るんだろう。

そこからは、急性期の患者に言えば希死念慮を強める言葉ばかりがならんだ、なかでも一番効いたのは、

そんなアホみたいな状況(職場での環境)で、そんな病気になっちゃってるってこと自体が、ほんとくだらないよね。

無意識的にこういう方法をとって病気を治して、会社を辞めたお前の本性は、計算高いやつってことだよ。

この人40代なんだけど、この世代にもこういう考えの人がいるってことが恐ろしかった。5,60代かそれより上の人が多く持ってる考えだと思ってたからだ。最近子供も生まれたのに、自分の子供がそうなったらなんていうんだろう。僕が安定してるときに会えてむしろ良かった。東大卒ってもっとマシな人たちが多いといいなぁ…

それが今映画作ってる会社の代表だってんだからね…

2日目の夜、6年来のお付き合いをさせてもらってる居酒屋の店長に言われたことが、心に響く。

わかんない人にはわかんないですから。

ほんとにそうだと思う。前にも書いたけど、この病気は理解しようと思っても理解できない病気だ。理解する気も、認めない人もいて当然なんだ。そして認めない人間はおそらくこの病気にはなりづらいんだろう。それを身をもって知った。この人にはもうかかわりたくないっていうのが正直な感想だ。

思ったより元気そうっていう言葉でさえ、結構くるのにね…

大丈夫?って聞かれて大丈夫って答えるしかない人たちで、大丈夫な人は少ない。むしろいないのかもしれない。大丈夫っていうことで無理してると思う。大丈夫な奴なんていないんだと思う。いろんな辛いことがある世の中で大丈夫な奴なんていねぇよ。

だから大丈夫じゃない。だいじょばない。

大丈夫聞かれたら、そう答えることにしようと強く心に誓った。大丈夫っていうことのメリットは相手にしかない。大丈夫って聞く奴は、十中八九自分が安心したい奴だから。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')