認知の歪みってなに?「自分の感情を理解する:考え方で気分は変わる」『いやな気分よ、さようなら』第三章
さて、第三章ではもう少し突っ込んだ内容になっています。
今回解ればいいことは、ずばり
あなたの気分の悪さはすべて歪んだマイナスの考え方から来ている。
ということ。そして、
そのような考え方はどこが歪んでいるのかを自分で判断できるようにしよう。
これがすべてです。
考え方を直すことで、うつの症状やマイナスの感情から解放されるというわけです。
・自分がそう感じるから自分は自分なんじゃないの?
つまり、感情こそ真実であるということ。ごもっとも。実は僕もそう思います。しかし、これを筆者は否定しています。
バーンズに言わせると、「そもそも気分や感情は事実ではない。」と。
この意見を聞いたうえで、僕は感情こそ自分が自分であるために必要なものであると思っています。ただ、ここでバーンズが間違っていて僕があっているとかそういうことを言っても全く意味がありません。大事なのは、僕の考え方でいったとして僕が今どうなっているか、と、バーンズの考え方でいくと将来僕はどうなるのかを考えることだと思います。前者はおそらく、苦しみ続けながら生きていくのでしょう。それが良い悪いではなくそういう人生なのです。後者はどうでしょう、まだわかりませんが、とりあえずバーンズの考え方の続きを見ていきましょう。
・気分がそうだからと言ってあなたの考え方が正しいことにはならない。不愉快な気分はあなたがただ不愉快に考えているという事実にすぎない。
・考え方が気分を作っている。だからこそ認知の歪みからくる不愉快な気分をなくす方法が必要
・個の認知の歪みを知ることこそうつ病を直す鍵
・認知障害はうつ病の最も重要な症状
・うつ状態に陥るたびに、その直前か最中に何かマイナスの考え方をしなかったか思い出して。その考えを直すことで気分を変えられる。
・いや、そんないきなり言われても無理っすよ。
・うつの症状のある人はマイナスの考え方が根付いてしまっている。
するとマイナスの考え方を自動的に思考しようとする。自分の症状は人とは違い、自分は治らないという思い込みなど、このような考え方こそ↑の心理的加工の産物
・ただの現実を歪んだ認知によってとらえ解釈することでそれが感情に作用してマイナスの考え方になる。
その歪みを気が付かせてくれるのが、認知の歪みの定義。
認知の歪みの定義
あなたがうつ状態になったとき、どう間違っているか気が付くために役立つリスト
①全か無か思考
ものごとを白か黒のどちらかで考える思考法。すこしでもミスがあれば、完全な失敗と考えてしまう。
②一般化のしすぎ
たった一つの良くない出来事があると、「世の中すべてこれ(こう)だ」と考える。
③心のフィルター
たった一つの良くないことにこだわって、そればかりくよくよ考え、現実を見る目が暗くなってしまう。
④マイナス化思考
なぜか良い出来事を無視してしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう。
⑤結論の飛躍
根拠もないのに悲観的な結論を出してしまう。
a・心の読みすぎ:ある人があなたに悪く反応したと早合点してしまう
b・先読みの誤り:事態は確実に悪くなる、と決めつける。
⑥拡大解釈(破滅化)と過小評価
自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価する。逆に他人の成功を過大に評価し、他人の欠点を見逃す。双眼鏡のトリックとも。
⑦感情的決めつけ
自分の憂うつな感情は現実をリアルに反映している、と考える。「こう感じるんだから、それは本当のことだ」
⑧すべき思考
何かやろうとするときに「~すべき」「~すべきではない」と考える。あたかもそうしないと罰で儲けるかのように感じ、罪の意識を持ちやすい。
⑨レッテル貼り
極端な形の「一般化のしすぎ」である。ミスを犯したときに、どうミスを犯したかを考える代わりに自分にレッテルを貼ってしまう。「自分は落伍者だ」他人が自分の神経を逆なでした時には「あのろくでなし」というふうに相手にレッテルを貼ってしまう。
⑩個人化
何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合にも自分のせいにしてしまう。
このような認知の歪みが全部ではないにしろうつ病の多くの症状を引き起こす原因になっているので、
自分の考えと上の定義を繰り返し参照するとよい。
ここでクイズ
次の文章に現れる認知の歪みはどれでしょう?
「ステーキの肉が焼きすぎだ」と夫に不機嫌に言われて、すっかり意気消沈した主婦。「自分は完全に失敗者だ。もう耐えられない。物事がちゃんとできたためしがない。まるで奴隷のように働いて、その結果がこの言葉なんて!」こういう考えのため、憂うつで、腹立たしくなる。
この場合認知の歪みは、
a・全か無か思考
b・一般化のし過ぎ
c・拡大解釈
d・レッテル貼り
e・以上のすべて
答え:e
独りごと。
本にはこの問題がまだまだ載っているのですが、これを解いていく意味はあまりないように思いました。なぜならこの問題は自身の問題ではないから。やはり自身の問題のなかで、10項目の定義と何度も照らし合わせて、自分にそういう考え方の傾向がないか、確認してみることが必要なのだと思います。
僕は④⑤⑥あたりがあるのですが、実はそれはわかっているのです。そうではないとわかっている。明らかに間違っているとわかっているのですが、僕は④⑤⑥のように考えたいと思ってしまう。なぜなら感情が真実だと思っているからなのでしょう。こういう感覚って他も人も多かれ少なかれあるのではと思います。それでも一歩踏み込んで「考えたい」のではんなく現実を「単なる事実」として認識する訓練は、自分にとっても必要かなと思ったのでした。
次の章から心の歪みをどのように正していくかについて触れていきます。
チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')