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宗教について③ 拝一神教についての考察・「アブラハムの宗教」-⑴

 皆さまこの記事を訪れて下さりありがとうございます。

 前回の投稿以来、しばらく時間が経ってしまいましたが、ようやくこのシリーズの進め方について私の中でメドが経ちましたので、新しい記事を投稿致します。

 前回に引き続き、このシリーズでは宗教について考えることを大きなテーマとして話を進めていきたいと考えています。前回は、第1回で取り挙げた「パスカルの賭け」という主張の性質や問題点について扱いました。

 前回、第二回の記事はこちらです↓

 さて、前回の記事の終わりに、「パスカルの賭け」の内容は一神教と相性がいい反面、(あくまで理論上ですが)まったく同じ理屈で現に存在する一神教同士の間で「都合が悪い」事態を招く、ということを述べました。これについてしばらく調べて考えていたところ、そもそも一神教と一口に言っても様々な種類があり、簡単にカテゴライズすることのできるものではない、ということを改めて理解しました。ですので、今回の記事はその反省と、今後の検討の下準備として、一神教とはどのような特徴を持つものなのか、ということについてお話させていただきたいと思います。少々脇道に逸れますが、おそらく今後の話を展開する上で避けて通れない内容ですので、どうかお付き合いください。

◎一神教とは

・一神教の定義

 そもそもの話になりますが、一神教という用語に厳密な定義はあるのでしょうか? この用語は狭義には宗教学・比較宗教学の分野で用いられる学術用語である一方で、広義には「単一の神を崇拝する宗教」といったイメージで理解されていることが多いかと思われます。以下、辞書からの引用を取り挙げます。

いっしん-きょう【一神教】
〘名〙ただ一つの神だけの存在を認め、それを信仰の対象とする宗教。唯一神教。単一(拝一)神教、交替神教などに区別される。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。⇔多神教。

精選版 日本国語大辞典より https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99-31483

 コトバンクからの引用になりますが、辞書的な定義は以上です。この内容を見るとわかるように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つは一神教と呼んで問題ないと思われるほか、どうやら下位区分として別の概念があるようです。

 この下位区分についてもう少し詳しく見ると、主に三つの形態に歴史上登場する一神教は区分することができるようです。

(1)単一神教または交替神教 多神教の一種。古代インドや古代エジプトの宗教に見られるように、多神より一神を選んで最高神とする。状況に応じて最高神が代わるので交替神教ともいう。
(2)拝一神教 唯一神を信仰しつつ事実としての他民族の固有神信仰をも認める立場。ヤハウェ信仰がその典型。
(3)絶対的一神教 すべての民族・国民が唯一の神を信ずべきものとする立場。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典より https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99-31483

 一般に、一神教と多神教はほぼ対義語といってもよい扱いを受けている枠組みですが、内容を詳細に見てみると、一神教に多神教の一部が分類されていたり、一神教に分類されながら他の民族の固有の信仰についても認める立場を取ったりと、どうやらこの二つの分類に明確な線引きをすることは難しいようです。

・一神教と多神教の線引き

 厳密に検討するとなぜこのようなややこしい事態が起きるのかというと、推測される理由はシンプルで、一神教/多神教というカテゴライズが、対象となる宗教の成立後に後付けで行われたからである、と考えられます。要するに近代に入って人文科学としての宗教学や比較宗教学が宗教を研究するにあたり、都合よく整理が行えるよう便宜的に設定したカテゴリーにすぎないのであろう、ということです。現実に古くから存在する宗教の多くはこのような分類が行われる前に成立し存続しているものであるため、もしまったくこの区分通りに分類が行えたとしたら、むしろその方が奇妙であるともいえます。

 ですので、前回の記事で一神教について特に用語や概念の批判を行わずに言及してしまいましたが、詳細に検討すると曖昧な部分を放置したまま議論を進めてしまったことになります。この場で訂正し、以降は主に一神教の中の「拝一神教」にフォーカスして話を進めたいと思います。

◎拝一神教

・概要と具体例

 この場であえて拝一神教を取り挙げる理由は以下の二つです。

  1. 信者数が多く、またその分布が広範囲に及ぶこと。

  2. 歴史上その信仰を巡って幾度となく衝突が起きており、現在もなおそれは続き、一つの社会問題として考察する価値があること。

 具体的にここで私が念頭に置いているのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つ、いわゆる「アブラハムの宗教」です

・「アブラハムの宗教」について

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はその歴史的経緯や教義の内容から、「アブラハムの宗教」という一つのまとまりとして扱われることがあります。この三つの宗教は、わかりやすい表現を用いるなら「親戚関係」に当たる宗教であることが成立過程を見るとわかります。成立した年代順に並べると、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教、という順になります。

 それぞれの中に多くの宗派を持つので、主張や教えの解釈、またそれらへの厳格さの程度を網羅しきることはできません。ですので半ば無理やりこの「アブラハムの宗教」の共通の特徴を上げると、以下の三点が挙げられるのではないか、と私は考えます。

  1. 唯一神信仰を自認している。

  2. 扱いに差はあるが、ヘブライ語聖書の存在を認める。

  3. 程度に差はあるが、偶像崇拝を禁じている。

・唯一神とは

 唯一神、という概念を定義しようとすると、「『アブラハムの宗教』において信仰の対象とされる神」という循環論法に陥りますので、ここでは特にその名称と表記について扱いたいと思います。

 成立が最も古いユダヤ教においては、みだりにその名を口にするべきではないとされており、今では当初この神がどのような発音で呼ばれていたのかは失伝しています。残っているのは文字表記のみですが、ヘブライ語が属するセム語派に見られるアブジャドという表記方法のために、正確な発音がわからない、というのが実情です。

 アブジャドというのは表音文字の一種で、最大の特徴は基本的に子音字しか表記しない、という点です。母音の表記が省略されるため、話者/読者は子音字の並びや文脈から母音を含めた発音を判断する必要があります。同じセム語派に分類されるアラビア語の文字も、やや変則的ではありますがアブジャドに分類されており、原則母音字の表記は省略されます。

 唯一神を指す文字として伝わっているものは聖四文字(テトラグラマトン)と呼ばれており、これをヘブライ文字からアルファベットに翻字すると、YHWHまたはJHVHとなります。上述の通りこの四文字はすべて子音であるため、「組み合わされる母音がわからないために正確な発音がわからない」状況になっています。一般に「ヤハウェ」、「ヤーウェ」、「エホバ」などと呼ばれる神の名はいずれもこの四つの子音に、その他の文献などから推測される可能性の高い母音を組み合わせて便宜的に呼称しているものであり、同じ唯一神を指します。なお、今日でも宗教学者・研究者の間でこの発音については諸説が唱えられており、学術的な統一見解を形成するには至っていません。

 イスラム教ではこの唯一神の名は「アッラー(アッラーフ)」と呼び称されます。日本語のカタカナで音写すると「ヤーウェ」と「アッラー」は異なる単語のように聞こえますが、実際は同じ単語の言語による発音の差異の範囲に入ると考えられます。というのも、もともと地中海東岸地域で話されていたヘブライ語・アラム語・アラビア語などは同じアフロ・アジア語族のセム語派に分類される近縁の言語であるからです。それぞれの宗教の教義の上でも言語の上でも、「アブラハムの宗教」が崇拝する唯一神は同じ対象であると考えることができます。

 ただし、この唯一神に対する理解や解釈にはそれぞれ違いがあり、例えばユダヤ教・キリスト教の立場からすると、自分たちが崇拝する唯一神とイスラム教のアッラーは異なる性質を有するものと考えられ、同じ神であるということを認めていないようです。一方、イスラム教は成立過程からして「ユダヤ教・キリスト教の誤りや不十分な部分を正し確証する」という立場であるため、先行する二つの宗教の崇拝対象である唯一神は、自分たちが崇拝するアッラーと同一の存在である、と主張します。

・まとめ

 このように同じ唯一神を崇拝の対象とすることから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は「アブラハムの宗教」というまとまりとして第一に考えることができますが、各々の主張を具体的に見てみるとその唯一神に対する見解や扱いに差異があり、さらには他の見解を否定ないし誤りであるとみなす傾向があることから、根本的な部分で既に「わだかまり」のもととなるズレが存在していることがわかります。

 次回の記事ではこの続きとなる内容、ヘブライ語聖書と偶像崇拝の禁止ということについて取り扱いたいと考えています。中途半端な区切りとなってしまいますが、字数の都合で今回の記事はこの部分で切り上げたいと思います。

 皆さまここまでお読みくださりありがとうございました。間違いのご指摘や疑問がございましたら是非コメントをお願いいたします。



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