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ノベルゲームと小説の違いは何か。ゲーム性の探索。

ゲームを遊んでいると特に意識することなく、ゲーム性がある・ないといった評価をすることがある。けれど、"ゲーム性"っていったい何なんだろう。

「ゲームをゲームたらしめている何か」であることは間違いないんだけれど、それが具体的にはなんなのかはよく分からない。ゲームをつくっている人間として、どうかと思う。だから考えてみることにした。

ゲーム性は、見つけるだけなら簡単だ。ゲームと呼ばれるものには大抵、ゲーム性がある。たぶん。だからゲームを手に取れば、そこにはゲーム性がある。

逆にゲーム性がないものとは何だろうか。部屋を見渡してみると見つかる。エアコンのスイッチを入れるとか、ストレッチをするとか、寝るとか。ゲーム性がなんなのかは分からないけれど、でもそれらにはゲーム性がないよねと言われると納得できる。

こういうときは、よく似ているけど違うものの差分に注目するというアプローチを用いる。似ているけれど、一方にはゲーム性があり、もう一方にはゲーム性がない二つのなにかを探すのだ。その二つの差がゲーム性かもしれない。僕はボードゲームをつくるときのテストプレイでもこういうやり方をする。

考えて、ノベルゲームと小説に思い至った。ノベルゲームにはゲーム性がありそうで、小説にはゲーム性がなさそうだ。だけどやることは似ている。両者の差分がゲーム性なのではないだろうか。

ノベルゲームとは、文章を読み進めていくゲームだ。途中で主人公の行動を選ぶ選択肢が表示され、選択に応じて話の展開や結果が変わっていく。『かまいたちの夜』などが代表例だ。あと最近はやりの『FGO』も、原作はノベルゲームだ。小説は…特に説明しなくていいだろう。

わかりやすい両者の差は、「プレイヤーが展開や結果に干渉できるか否か」だ。

小説に対してプレイヤーは、文字を読み進めることしかできない。どんなに気にくわない登場人物がいたとしても、主人公にそいつを陥れるように仕向けたりできない。逆に気に入った登場人物が殺されてしまいそうでも、助けられない。ノベルゲームは選択に応じて話の展開や結果が変わる。

ただ、これだけをゲーム性として定義するのは早急だろう。「展開や結果に干渉できるか否か」だけではエアコンのスイッチを入れることもゲーム性があることになってしまう。スイッチを入れれば風が吹く。結果への干渉だ。

そこで、さらに定義を加えるなら「予想外があること」ではないだろうか。ノベルゲームでは一見正しいように思える選択肢を選んでも、次のシーンで自分が死ぬことがある。僕は『かまいたちの夜』で何度も恋人にスキーストックで殴り殺された。

エアコンのスイッチを入れたら風が吹くのは予想通りだからゲーム性がない。また、やりこみすぎて選択肢に応じた結果をすべて覚えてしまっているノベルゲームにもゲーム性はないと言えるだろう。それはほぼ小説だ。

つまり、結果に干渉できるけど予想外。それは矛盾しているようだけど、ゲーム性があるコンテンツにはそういう側面があると思う。ノベルゲームにおいてはそれをプログラムとして埋め込むが、ボードゲームにおいては他プレイヤーの思考が主な予想外因子となるだろう。

ゲーム性の構成要素、もっと他にもありそうなので、思いついたら続きを書きます。

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