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フェミニズムとは「弱者のための仕組みつくり」だった

フェミニズムってなんでしょう?

今までのイメージでは、
フェミニズム=強い人(もしくは勇気のある人)が権力に物申す会合。
いわば、みぎひだりのある〇翼のような、反社会的集団なイメージがありました。なので、特に関わりたくない思想の一つって感じ。

そんな私に衝撃が走ったのは、昨年友人の風花さんの作品を見たからです。

こちらの作品が福岡のジェンダーデザインコンテストで優勝し、そこから仲間内で「フェミニズム論」が活発化していました。
話題に上がるのは
私たちは、家庭の延長上でしか行動を許されないのか?
私たちは、夫や家族に永遠に時間や家事労働を提供するだけなのか?

こういった疑問に対して答えや考え方を教示してくださったのが、上野千鶴子先生の著書や動画でした。

特に感銘を受けて、友人たちにも強く勧めたのはコチラの本でした。
遥洋子著
東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

図書館で借りて読んだ後、手元に欲しくて本でも買いました。

こんな風に、上野千鶴子先生の思考に触れていたここ数か月でした。
フェミニズムについて理解は深まったけれど、自分がフェミニストか?と問われたら答えられないし、フェミニストについての印象もそこまで変わってないです。
ですが、友人と議論して学びを深めたおかげで、先生の理論がとても好きになった数か月でした。
そしてなんと!
先生の講演が聞ける!と知り行ってきました!

今日はそのまとめをシェアします。

ケンカは学ばなかったが、ケンカをする勇気をもらった

私たちっていつもいつもなにかしか制約があります。

例えば、痴漢。
痴漢をされたおまえが悪い
もしくは、痴漢をされるなんて可愛い証拠
なんて考えが一昔までありましたよね。
今思えば「はぁ?」です。
痴漢が悪いなんて、言い出すようになってのは最近です。
痴漢は犯罪ですのあのポスター。
あれを見たときに先生は感動したそうです。

その後こう続きました。

「被害者になっていい」と理解すること
・被害者になって加害者に「お前が悪い!」と言えること
これがフェミニズムが達成した「定義の政治」である

すなわち経験の再定義がフェミニズムが成したことである。

これちょっと分かりにくいかもしれませんが、流れで書くとこんな感じです。

【経験の再定義の流れ】

権力=確定した定義

経験の再定義=「あの時のあれは・・・」

被害者の免責=「私は悪くない!」と理解する。

私これを聞いて感動しました。
痴漢されたこともあります。
夜道を付けられたこともあります。
ナンパもあります、カメラ持って追いかけられたことも、トイレまで追いかけられたこともあります。
女という弱者でいて怖かったことなんて、上げだしたらキリがないくらいあります。
でも、声をあげたことはありません。
家に帰って夫に話して「勘違いじゃない?」って嘲笑されるのに耐えて、結局誰にも言えなくなっていました。

そうじゃなかったんですね、ちゃんと「嫌だ」「助けてほしい」というべきだった。
仕方がないと諦めていました。

この講演で、フェミニズムについて上野先生の口から聴いて、喧嘩をする勇気、自分が加害者に対して物申す勇気をもらいました。

先生がご紹介されていた本を紹介します

スライドが50枚以上あり、すごくボリュームのある2時間でした。
出来る範囲でまとめてみます。

ーまずは先生が引用されていた本や資料ー

me to運動のさきがけとなった伊藤 詩織さんの本
ブラックボックス
顔出し・実名という勇気を称えていらっしゃいました

新日本の階級社会
貧困の部分で引用


日本の分断
こちらも貧困問題に関連して


日本の分断
こちらも貧困問題に関連して

※同タイトルの本が2冊あり、どちらの本か不明です
ごめんなさい

非正規・単身・アラフォー女性
特に社会的弱者のまとめとして


みんなの当事者研究(kindleなし)
自立などの話に関連して


内閣府の男女共同参画白書令和4年度版
かなりの数字をここから取ってらっしゃいました


現代主婦論 都留重人
Amazon取り扱いなし
紀伊国屋書店で取り寄せ可能
理論が経験を説明出来ないという言葉が出てきました。


市民派議員になるための本(絶版のためkindleのみの取り扱い)
(講演で先生がとてもいい本だからと参加者に進呈していました)


ケアするのは誰か? who cares(kindleなし)
コロナで浮かび上がったケアワーカーや学校や家庭介護ケアの場を考える


女たちのサバイバル作戦
カツマーについての先生の見解が載っています
第六章 ネオリベが女にもたらした効果ーカツマーとカヤマーのあいだー

関連して面白そうな資料

上野先生の著書「主婦論争」の出典をまとめたページを発見したので添付しておきます。

面白いのが平塚れいてうや、大熊信行も出てきており、上野先生がこの流れを汲んでいる所です。時代は地続きで今に流れていることがよく分かります。

講演の中で話題に出た、家事労働と労働のちがいは?というPDFも見つけたのでおいておきます。


上野先生が近年感動したこと

・先に書いた痴漢は反勢ですのポスター
・ワンオペ育児=あってはならないという価値になったこと
・逃げるは恥だが役に立つ=家事労働を有責で担うと言う契約が今までにはなかった

聴講して印象的だった所

・Who gains from it?(そのルートで誰が得をするのか?)
これを考えること

・フェミニズムが達成したこと「定義の政治」
権力=確定した定義

経験の再定義=「あの時のあれは・・・」

被害者の免責=「私は悪くない」

経験の再定義

・家事労働の定義=第三者基準で他人に委託できるもの

・フェミニズムが変えられなかった事、経済への切り込み
例:130万円の壁・男女の経済格差など

・女の3極化
1.男並みに使える女
2.低賃金の二流の労働者
3.育児介護の担い手
=家族は福祉の含み資産(by、なんとかっていう大臣)

・男性稼ぎ主モデルが令和の現在も続いていること
男は仕事+女は家庭のモデルから
男は仕事+女は家庭と仕事(家計補助型)へ移行しただけ女の負担が増えている。特に離別や、シングルマザーは最貧層にいるのが現代社会構造。

・抑圧委譲の法則
ストレスを弱いものに与える、これが家庭内で起こりやすい

・コロナはケアワークを見える化した

・女性は外交政策において弱いというステレオタイプを克服しなければならないという解釈=過剰同一化の理論

・上野先生が欲しい社会とは?フェミニズムとは?
1.弱者が弱者のままで尊重される社会
2.女は「男のように(強者・支配者・差別者)になりたくない」

・自立とは依存先の分散である

・非暴力は学べる
ケア=権力の非対称関係
ケア=非暴力を学ぶ実践
誰にでも「人を思うようにしたい」という心はあるがそれは暴力になる。
そうではなくケアという方向に転換できる学びの場が「子育て」
だから私たち女はケアの社会を目指したい

・上野先生の作りたいこと
安心して弱者に乗れる世界
安心して障害者になれる世界
安心して認知症になれる世界
障害者になっても殺されない社会

メモを取った上野先生の言葉

「制度と権利は向こうから歩いてこない」
「持っているものは奪われる」
「敵は加害者」
「男性は自発的には変わらない」
「家庭内で波風を立てないのは妻の努力、それは飲み込んで溜まって腐って恨みになる」
「女性に被害者になってほしくない」
「女性に被害者になり続けてほしくない」
「被害者になり続けることで、次の世代で加害者になる」
「そうなってほしくない」
「黙っていてはいけない」
「言わなきゃ伝わらない」
「なんで?」「考えてみて」「どうしたらいいんだろう?」

感想

政治に参画しようとする女性って、すごく強い人だという気持ちがありました。
政治に関わろうとする人が怖いと感じる、それは男の場に行かねばならないとか、政治は男性がやるものだという自分の中での固定概念があるからだと思います。
先生の講演を受けた後考えると、やるしかないんだという強い心が湧いてきます。

みんなはどうしますか?
このままでいますか?
考えて行動してみますか?

とても有意義な2時間でした、先生とお話できたことをとても嬉しく思います。

おしまい


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