『13歳からのアート思考』をブックオフで売ってきた
最近、noteのサボりが甚だしいので、徹夜明けのテンションで書くとでもするか。今回もキレている。最近ずっとキレている。やれやれ。
末永幸歩という人が書いた『13歳からのアート思考』という本が売れている。Amazonでは現代美術カテゴリでベストセラー1位。俺も本屋でこれを見かけて、「13歳までに身につけておかなければいけないアートに対する見方を知らないのは恥ずかしいことかも」と思ってしまい、買ってしまった。
しばらく積読していたのだが、昨日ふと読んでみようと思い、夜勤のお供に、とバイト先に持って行った。
読み始めて2、3ページ、下らなすぎて読むのを止めた。美術館で子供がモネの『睡蓮』を見た時に、「かえるがいる」と言った現代の故事を引き合いに出して、著者はこう書く。以下引用。
その場にいた学芸員は、この絵のなかに「かえる」がいないことは当然知っていたはずですが、 「えっ、どこにいるの」と聞き返しました。
すると、その男の子はこう答えたそうです。
「いま水にもぐっている」
私はこれこそが本来の意味での「アート鑑賞」なのだと考えています。
その男の子は、作品名だとか解説文といった既存の情報に「正解」を見つけ出そうとはしませんでした。むしろ、「自分だけのものの見方」でその作品をとらえて、「彼なりの答え」を手に入れています。
彼の答えを聞いて、みなさんはどう感じましたか?
くだらない?子どもじみている?(引用終わり)
はい、下らないし、子供じみています。
もうね、バカかと。まあバカがバカ相手に書いてるから仕方ないんだけど、救いようがない。なんつーか、それ学問として芸術をやってる人たちのこと完全に否定してますよね。
まず、俺たちが『睡蓮』を観て分かり得るのは、「蛙が描かれていない」という事実でしかない。子供がいくら「かえるがいる」と言ったところで、インターネットミーム風に言えば、「それってあなたの感想ですよね。なんかそういうデータあるんですか」という話なんである。水面しか描かれていないんだから、水の中に蛙がいるかどうかなんて、描いたモネも分かりっこないだろ。
俺はその子供を貶めたい訳ではない。「13歳からの」と銘打って、「アート」に不慣れな、13歳の中学生や良い歳こいた大人の読者の、「アート」に対する観点や発想を、イノセントな子供のレベルまで引き下げようとする、著者の魂胆こそが非難されるべきだと俺は考える。
モネなんて専門書なんかいくらでもあるでしょ。それ読んだ方が、自分の感想をアテにするより、余程「アート」の見方の視野は広がると思いますけどね。先達の最大公約数な解釈を知って、巨人の肩に乗る方が俺は良いと思います。
第一、ルックからして妙な本だった。やけに行間があるし、言葉遣いも稚拙だ。俺はもうこの時点で拒否反応が出ていた。それにやたらと「アート」という単語を使いたがるし、「芸術」とか「美術」で良いんじゃないすか?あなたの言う「アート」って何なんですか?まずそこの説明からしてくださいよ、末永幸歩さん。
こんな本をみんながアテにしているのは嘆かわしい。まあ、みんなが好きになる理由も分かるけどね。だって、よく分からない「アート」はあなたの(貧しい)感性だけで理解し(たことにし)て良いんだよ、ってことでしょ?そのままの、ありのままのあなたで良いんだよってことでしょ?こんなものは、読者に対する甘やかしでありまやかしである。別に苦しんで芸術に対峙しろとは言わないが、せめて共通言語を学ぶのが最低限のラインでは、と思う。
バイト帰りに新宿のブックオフでこの本を売ったら250円だった。まあ、電車賃ぐらいにはなるか。
その足で新大久保のクロサワ楽器に行き、サックスのケースを取り置きした。キャラメル色のレザーが張ってあるイカしたデザインだ。うひひ、これを担いで肩で風を切って歩くのが楽しみじゃ。読む価値も無い本のことなんか忘れて、楽しいこと考えよう。