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原稿用紙5枚の掌編小説「十円玉」

「ごめんね、十円足りないみたい」

 レジカウンターの上に並んだ小銭を数え終えた若い女性店員は言った。カウンタ―の前に立った少年は、戸惑ったように小銭と店員の顔を交互に見た。とある書店での出来事である。小銭は大人の掌にひと山ほどはあろうか。その傍らに置かれた大きなガマ口の財布とコミックの新刊本。少年は小銭で支払いをしようとしたが、十円足りなかったらしい。

「じゃあ、もう一度数えてみるね」

 女性店員は最初から小銭を数え始める。

「いち、に、さん、し・・・」

 少年は不安そうな顔で店員の手元を見る。そのうちレジを待つ客が少年の後ろにひとり、ふたりと並び始めた。そこへ杖を持った老婦人が割り込んできて店員に訊く。

「お尋ねしますけど、俳句の本はどこかしら」

 女性店員は手を止めて場所を伝える。

「ああ、あそこね。どうもありがとう」

 立ち去る老婦人を見送り。店員は少年に申し訳なさそうに言う。

「ごめん、最初からね」

 並んだ客から不意に声が上がる。

「ちょっと、早くしてよ!」
「申し訳ございません」

 店員は声を上げた客に向かって詫びると、焦る気持ちを抑えるように一度息を吐き、あらためて小銭を数え始めた。

「いち、に、さん、し・・・」

 そしてすべて数え終わり、店員は労わるような声で少年に言った。

「やっぱり十円足りないね。お金が足りないとこの本は買えないの。ごめんね」

 少年はべそをかいたような顔で小銭を見つめている。店員は少年のそんな姿がいたたまれず、並んだ客を気にしつつ少年に言う。

「ポケットの中も探してみて。もしかしたらあるかも」

 少年はズボンの左右のポケットに両手を入れて中をまさぐる。自分の足元もその周辺も目をキョロキョロさせて探してみたが、どこにも落ちてはいない。少年は途方に暮れた顔で女性店員を見る。

「きっとお家に忘れて・・・」そう店員が言いかけたとき、並んだ客の間からイラ立った声が飛んだ」

「早くしてくれって言ってるだろう!」
「申し訳ございません。いますぐに」

 女性店員は慌てた手つきでガマ口の財布に小銭を戻しながら少年に言う。

「ごめんね、お家に帰ってよく探してみてね」

 そこへ、列に並んでいた中年の女性客がつかつかとレジに歩み寄る。

「いいわ、私が足りない分を払ってあげる。だって可哀そうじゃない、せっかく買いに来たのにお金が足りなくて買えないなんて。十円でいいのね」

 と言って財布を出す。

「あの、お知り合いの方ですか?」と店員が尋ねる。
「ううん、ぜんぜん知らない子。でも関係ないでしょう、そんなの」

 そう中年女性が答えると、やはり並んでいた男性サラリーマンが声をかける。

「それってどうなのかな。社会のルールをしっかり教えてあげるのがこの子のためじゃないの」

 中年女性が言い返す。

「そうかも知れないけど、見てよこの小銭。きっと一生懸命お小遣いを貯めたのよ。それだけだって偉いじゃない」

 サラリーマンも言い返す。

「そういうつまらない同情はこの子にとって迷惑なだけだよ。将来のためにならないでしょう」
「迷惑ってどういうことよ! こんな世知辛い世の中に、少しくらい同情があたっていいでしょう!」

 中年女性が興奮してまくし立てる。するとその間に少年の後ろに並び、我関せずといった顔でスマホを操作していた制服姿の女子高生が、ふと足元から何かを拾い上げる仕草をして店員に言った。

「ここに落ちてましたよ。きっとこの子の十円玉じゃないかしら」

 そして指先に挟んだ十円玉をカウンターの上に置き、少年に言った。

「よかったね、これで買えるよ」

 少年はキョトンとなって女子高生を見上げた。そこには笑みを浮かべた女子高生の顔があった。中年女性もサラリーマンも、拍子抜けしたようにレジカウンターの十円玉をまじまじと見た。

 少年は無事に欲しかったコミック本を買うことができた。少年は店を出ると、隣の店の看板の陰から書店の入り口に目をやった。間もなくして女子高生が出てきた。女子高生は店の前に置いた自転車にまたがり、何事もなかったように走り去って行った。

 少年は見ていたのだ。自分の足元を探しているときに、女子高生が制服のポケットから小銭を取り出すのを。十円玉は落ちてなどいなかった。あたかも拾ったふりをした女子高生の芝居だったのだ。少年は女子高生がみえなくなるまで、その後ろ姿を見送っていた。


              

                         完

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




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