TAQUENACA, Aquirax

Editor, Exec. director of Musashino Institu…

TAQUENACA, Aquirax

Editor, Exec. director of Musashino Institute for Resources Studies of the Humanities, Lecturer of Tokyu Seminar BE and Shukutoku Univ.

マガジン

  • 展覧会紹介@アートアンドサイエンス株式会社ウェブサイト

    かつてアートアンドサイエンス株式会社のウェブサイトに連載されていた「展覧会紹介」のコーナーを再録しました。2011年から17年までの記録です。 終了した展覧会に過ぎないわけですが、それぞれの対象についてコンパクトな紹介となっていますので、知識の整理のためにでもお読みいただければ幸い。

最近の記事

没後90年 萬鐵五郎展@神奈川県立近代美術館 葉山(2017.7.1ー9.3)

マンテツ・ゴローではありません。よろず・てつごろう、です。 しかし、この誤読のどことなくユーモラスな響きと字面はそのままにしておくには惜しいという直感を周囲の方々も得たようで、知人のなかには親しみを込めて彼のことを「マンテツさん」と呼ぶ方もあったようです。 少々ユーモラスに過ぎるような気がしないでもありませんが、この短文でも「マンテツさん」と呼んでみることにしましょうか。 風土が育む前衛の輝き マンテツさんは、岩手県の小さな町で生まれました。花巻から東に向かって車で15分ほ

    • 絵巻マニア列伝@サントリー美術館(六本木開館10周年記念展)(2017.3.29ー5.14)

      ちょっと本展の話題とは違うのですが、正倉院のことを考えていますと、いつも不思議な気分にとらわれます。ご承知のように、これは東大寺大仏を建立したことで有名な聖武帝の遺品などを光明皇太后が献納したことから始まる倉です。天皇の持ち物とはいえ、これほどの長きにわたってコレクション(と言って良いものかは別にして)の形が崩れずに伝世している例は世界にも珍しいものでしょう。 光明皇太后といえば、彼女は書を良くし、幸いなことに自筆の「楽毅論」「杜家立成雑書要略」などという中国の書物を臨書した

      • 『並河靖之七宝 明治七宝の誘惑――透明な黒の感性』@東京都庭園美術館(2017.1.14ー4.9)

        「忽然と現れる」という言葉があります。 明治期に登場した並河靖之の作る七宝作品の数々を目撃するという経験は、日本美術の伝統の中に突如として独特の感性と技術が浮上する現場に触れる、「眼の快感」とでもいうべき官能的な体験そのものだったでしょう。その体験の衝撃は、当時も今も変わりないかもしれません。 「七宝」世界の再生 しかし、忽然などとはありがちな奇を衒いすぎた表現であろう、というお叱りも受けそうです。もちろん七宝というものは古代からこの国に存在し、桃山期頃から江戸にかけてさか

        • 特別展 春日大社――千年の秘宝@東京国立博物館(2017.1.17ー3.12)

          春日のカミの降り立つすがた 「鹿島物忌」かしまのものいみ、とは茨城県の鹿島神宮に特有の神職の名称で、女性が独身のまま、ただひとり老いて命が尽きるまで終身務めるものでした。 真夜中に本殿の奥に出入して神の託宣を受けるわけですが、伊勢神宮などでは中世にその伝統が途絶えてしまった斎宮や斎院と呼ばれた、神の嫁となり生涯身を捧げるような女性祭祀者の姿がここでは明治維新まで残っていたのです。 鹿島に祀られるタケミカヅチノミコト(武甕槌命)という神は、まことに強力な武神です。隣の香取神宮に

        没後90年 萬鐵五郎展@神奈川県立近代美術館 葉山(2017.7.1ー9.3)

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        • 展覧会紹介@アートアンドサイエンス株式会社ウェブサイト
          29本

        記事

          世界に挑んだ7年――小田野直武と秋田蘭画@サントリー美術館(2016.11.16ー2017.1.9)

          秋田新幹線の角館駅を降りると、失礼ながら、ごく普通の日本の田舎町が目前に広がります。重ねて失礼ながら、「新幹線」という語の重みを考えるなら、普通以上かもしれません。 とは言え、その田舎ぶりは、目をむいてことさらにあげつらうようなものでもありません。しかし駅から道をしばらく辿るにつれ、さらに集中力を増して田舎くさくなるのはなかなか特筆すべきことで、なぜかと言うに「みちのくの小京都」という今や多少気恥ずかしいような評言は、長らくこの町の価値をあらわす代表的な言葉であったからです。

          世界に挑んだ7年――小田野直武と秋田蘭画@サントリー美術館(2016.11.16ー2017.1.9)

          浮世絵から写真へ――視覚の文明開化@東京都江戸東京博物館(2015.10.10-12.6)

          展覧会のタイトルというものは、特に近年いろいろと仕掛けが凝らしてあり、当今の展覧会企画者がその趣旨をいかに面白げに伝えたものか、昔のそっけない展覧会タイトルに比してあれこれ頭を悩ませているさまがよくわかるものでもあります。 さて「浮世絵から写真へ」と言われてみますと、何かそれ以外の変化が近世から近代の間にあっただろうか。いや、特にないよな、とシロウトのわれわれはすとんと納得してしまうわけですが、実はこの単純素朴な「から」の間に潜むあれこれが、この展覧会で明らかにされる興味深い

          浮世絵から写真へ――視覚の文明開化@東京都江戸東京博物館(2015.10.10-12.6)

          画鬼暁斎――幕末明治のスター絵師と弟子コンドル@三菱一号館美術館(2015.6.27ー9.6)

          異常なまでに能力がある人物というものは、しばしば能力の評価と同じほどの誤解を受けたまま、歴史の流れのなかで「なにかしらエキセントリックな感じの人」といった印象だけが次第に固定されてゆくことが多いように思います。 そう、芸術・芸能においては、ごく普通に見かけるような気がしませんか。 忘れ去られた男 芸術・芸能というものはむろんそのような「エキセントリックなもの」がいずれにせよ必要とされる領域であるかもしれません。しかし往々にして同時代の評価を受けるのが、人格識見ともに穏当な、

          画鬼暁斎――幕末明治のスター絵師と弟子コンドル@三菱一号館美術館(2015.6.27ー9.6)

          大ニセモノ博覧会―模造と模倣の文化史@国立歴史民俗博物館(2015.3.10ー5.6)

          千葉県という地域はゆるやかに広がる起伏の中に脈絡もなさげに小都市が点在し、そのうえどの都市もアメリカ中西部のそれらが醸し出すような、街の外縁がぽかんと広がって野に消えるという、なんとも頼りなげな風致を感じさせる土地柄です。 佐倉という町はその千葉のど真ん中にあって、頼りなげながらも中世以来現在まで連綿と城下町としての結構をしっかり保って来ました。 ここに国立歴史民俗博物館が誘致された折には、またえらい遠いところに建てたな、と感じる一方で、佐倉順天堂に見るような幕末関東の洋学の

          大ニセモノ博覧会―模造と模倣の文化史@国立歴史民俗博物館(2015.3.10ー5.6)

          《終わりなきパリ》、そしてポエジー:アルベルト・ジャコメッティとパリの版画@東京大学駒場美術博物館(2014.4.26-6.29)

          まず、ほとんどの方がとりたてて何のご用事もないことでしょう。駒場の東京大学キャンパスのお話。ここに東大があることをご存じない方もいらっしゃるようです。そう、東大といえば、本郷の赤門ですから。 井の頭線の駒場東大前駅は、駅を出ると何も考えることなくいつの間にかキャンパスに導かれる作りになっているのですが、門を入って大半の学生が向かう方向とは反対側、右手に歩いてゆくと、篤実な古典的デザインの建物が見えてきます。東京大学駒場博物館。なかなかいかめしい名称ですが、かつてここに存在し

          《終わりなきパリ》、そしてポエジー:アルベルト・ジャコメッティとパリの版画@東京大学駒場美術博物館(2014.4.26-6.29)

          『日本国宝展』@東京国立博物館(2014.10.15ー12.7)

          いや、なにしろ国宝です。紹介もへったくれもあったものじゃないのでは。うむ、その通り。行った。見た。感動した。それで結構――ですよね。 国の宝物、というからには、もちろん多様なジャンルがあるわけですが、世の雑多なものどもをいろいろと吟味して、その上澄みのような部分、お宝を百科事典のように分類して見せてくれるのが、そもそも「展覧会」が行われる「博物館」というものの基本的な機能でした。 いや、少々場違いなお話を始めるようですが、簡単にいうと、博物館というもの――細かくいえば日本最

          『日本国宝展』@東京国立博物館(2014.10.15ー12.7)

          種村季弘の眼 迷宮の美術家たち@板橋区立美術館(2014.9.6ー10.19)

          タネムラスエヒロ――と口に出してみると、特殊な知的領域に接してワクワクする感覚、不思議な思想的な磁場に感化される感覚、いずれも若い時期にしか得られない、そのような幸福な感覚の記憶が身に蘇ります。そう、「感覚の記憶」だけなのですが。 シブサワ・タネムラの時代 澁澤龍彦の時代、というものがかつてありました。 いや、時代相などというものは政治思想や社会情勢や経済実態において把握するべきものならば(その方がじゅうぶん正しいようにも思えますが)、なんとも呑気な、あるいは気取った物言い

          種村季弘の眼 迷宮の美術家たち@板橋区立美術館(2014.9.6ー10.19)

          戦後日本住宅伝説――挑発する家・内省する家@埼玉県立近代美術館(2014.7.5-8.31)

          かつて日本人は、家を建てない人びとでした。日本人、とはあまりな表現かもしれません。もっと限定して、戦前までの都市住民、とでもしましょうか。 戦前の東京のふつうのサラリーマンは、ほぼ借家住まいでした。 明治以降、東京で土地を持っていた地主たちは、下町では江戸以来の伝統を持つ長屋を維持しましたが、関東大震災を期に山の手の開発が進むと、そのあたりの地主は小ぶりの借家を建て始めました。中流の下――まあ、「わたしたち」のような――ホワイトカラー、すなわち大半の事務系労働者の面々は、職人

          戦後日本住宅伝説――挑発する家・内省する家@埼玉県立近代美術館(2014.7.5-8.31)

          開館25周年記念 魅惑のニッポン木版画@横浜美術館(2014.3.1ー5.25)

          いやはや、この精細な技術と色彩。そして圧倒的にジャンルを横断するバラエティ。 会場の個々の作品について語るよりもまず、芸術を含めたわが国の文化全体を長く支えたのが木版というメディアそのものであったことを考えてみないことには、この展示全体のすさまじくも芳醇な「ごった煮感」の旨さが理解しづらいかもしれません。 木版の王国 そもそも長らく世界最古の木版印刷物と言い慣わされていたのは、有名な法隆寺の「百万塔陀羅尼」でした。現在は様々な説が出ていますが、木材を用いて摺物を作る文化が世

          開館25周年記念 魅惑のニッポン木版画@横浜美術館(2014.3.1ー5.25)

          生誕100年! 植田正治のつくりかた@東京ステーションギャラリー(2013.10.12ー2014.1.5)

          幾度となく新しさを再発見され続ける芸術家に共通する特徴のひとつは、あるときは全くの時代遅れとされるほどに独特な表現のスタイルを持っていること、でしょう。そのような時勢に乗らない創作手法は、ある時代には鈍重で、才のきらめきに欠けるように見えるものです。 写真という技術は社会の近代化のなかで芸術として認知されたものですから、飛び抜けて時代の息づかいに敏感な表現手法と言えるかもしれません。長い伝統に支配されたスタンダードというものがありませんから、今も常に新鮮な感覚を受容できる器で

          生誕100年! 植田正治のつくりかた@東京ステーションギャラリー(2013.10.12ー2014.1.5)

          牛腸茂雄展 第二部「こども」@MEM(2013.9.24ー10.14)

          写真家というものは、きわめて冷静に自分が表現しようとする対象を捉えるものです。もちろん、他の芸術ジャンルにあってもその姿勢は重要なものに違いありません。しかしまことに近代的で精密な「カメラ」という、これまた冷静さの塊のようなモノを媒介者とせざるを得ないというこの芸術の制作条件は、やはり際立って特異なものがあるのです。 冷静な制作の熱 人生と引き換えにして芸術作品を残すような、熱い情動のようなものは、あまりこの表現領域には似つかわしくないように思える――という言い方にはいくら

          牛腸茂雄展 第二部「こども」@MEM(2013.9.24ー10.14)

          路上と観察をめぐる表現史 考現学以後@広島市現代美術館(2013.1.26ー4.7)

          観察とはなにか――生み出される「作品」 この展覧会の主眼は、実際に会場に並ぶ「モノ」そのものではなく、インプットとしての「観察」行為と、アウトプットとしてのその分析行為、をめぐる考現学以降の実践を考えるということにあります(「考現学」については、『今和次郎 採集講義』展の展覧会紹介を書いておりますので、ご参照下さい)。会場に並んでいるのはもちろんその結果であり、当然ながら興味深い限りなのですが、これは美術館という装置が思考の方法そのものに関わるにはどうすればよいのかというひと

          路上と観察をめぐる表現史 考現学以後@広島市現代美術館(2013.1.26ー4.7)