牛腸茂雄展

牛腸茂雄展 第二部「こども」@MEM(2013.9.24ー10.14)

写真家というものは、きわめて冷静に自分が表現しようとする対象を捉えるものです。もちろん、他の芸術ジャンルにあってもその姿勢は重要なものに違いありません。しかしまことに近代的で精密な「カメラ」という、これまた冷静さの塊のようなモノを媒介者とせざるを得ないというこの芸術の制作条件は、やはり際立って特異なものがあるのです。

冷静な制作の熱
人生と引き換えにして芸術作品を残すような、熱い情動のようなものは、あまりこの表現領域には似つかわしくないように思える――という言い方にはいくらでも反論が用意できるとは思いますが、実感として、成功した写真表現とは画面全てに透徹した観察者としての眼を感じさせるもののように思います。それがたとえブレ・ボケの極みのようなものであっても、異性との密やかなプライヴェートな瞬間であっても、写された対象への静かな批評眼を私たちが再体験できるものこそに、才能のようなもののきらめきを感じ取ることができるように思います。

そして、ここでまた全てをひっくり返すようなことを申し上げましょうか。牛腸茂雄の写真とは、彼の人生と引き換えに、冷静さに満ちた熱のような力で遺されたものだと思うのです。
牛腸は1946年に生まれ、上京後はデザイナーを目指して勉強していましたが、たまたまデザインスクールで履修した写真のコースで講師の大辻清司にその才を見抜かれ、師の熱心な勧めで写真の道に入りました。そして83年、3冊の写真集を遺して、36年の短い生涯を閉じました。
その写真集の1冊、『Self and Others』が私の手元にあります。
自己と他者。頁を繰るごとに、ひたすらカメラを見つめ続ける他者の姿。その視線に晒されるのは作者であり、写真を見つめる私たちであり、写された対象の周囲に存在したであろう、もう一人の私たちです。牛腸は幼い時に大病を患い、背骨が変形した特異な体躯で、正常な体力は望めない身体でした。世界との関わり、他者との関係とは、彼が生きていく上での問題そのものだったと言えるでしょう。この写真集は、きわめて個人的な関係の網を捉えた写真で構成され、自分が生きている証を刻みつけるような行為の記録であるにもかかわらず、不思議なまでに彼の人生の様相は浮かび上がってきません。他者との関係という主題はそのシャープな造形感覚の中で消化され、静謐な時間と日常的な空間が確かな技術で定着され、記憶のなかに刻み込まれます。

冷静な制作の熱

子ども――願望の中の自画像
印象的なのは、折々に現れる子どもの写真です。この作品集の半分以上が子どもの写真であることには驚くのですが、そこには彼が成し得なかった「普通の少年時代」への憧れの投影があるのでしょう。無邪気な視線や、ときにむき出しの猜疑的な視線が、カメラに向けて投げかけられます。かつて私たちが向けた、また向けられた視線であり、プリントされた時間には彼だけではなく、私たちの時間も同時にそこに封じ込められているかのような思いにとらわれます。彼にとって、子どもという存在は創作の核となるような対象であったに違いありません。雑誌に掲載され、遺作となってしまったシリーズは「幼年の『時間(とき)』」というものでした。
このたびの展覧会は、彼の没後30年にあたり出版された2冊の写真集(『新装版・見慣れた街の中で』山羊舎刊、『こども』白水社刊)にあわせて企画されたものです。さほど広くないギャラリーに、生前刊行された写真集と、死後に出版された『幼年の「時間」』から精選されたプリントが静かに並べられ、彼の不自由な身体から発せられた正確な視線、優しくも冷静な視線で捉えられた「わたしたち」が、そこに定着されています。そして既に彼が不自由な病みがちな身体で制作に没頭していたのを知っているわれわれは、その冷静さの背後には、もしかしたらあり得たであろう、野山を駆け回る「幼年の時間」に対する彼の人間的な熱い羨望を感じざるを得ないのです。
『Self and Others』 の最後の一枚は、霧の彼方に走り去る子どもたちの一群を捉えた粗い画面のショットでした。この写真集のなかで唯一私たちの方を視線が向いてないこの写真を最後に置くことに、表現することに込めた彼の強い意志を誰もが感じとれるでしょう。子どもという他者に投影された、いつでも儚く失われてしまう「日常」というものの貴重さに捧げた表現を、彼の渾身の36年に見ます。

子ども――願望の中の自画像

牛腸茂雄展


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