【目は心の窓】
「聞く」はともかく、「聴く」ではない。
宿泊学習中の語りの一つ目として、「目は心の窓である」そんな話を子どもたちには届けた。
1日目のうちで「顔上げてごらん?」「下向いてると分からなくなっちゃうよ?」そんなニュアンスの言葉がけをいただいたのが17回である。
17回!?
1日目が終えるときに、子どもたちにそのことを伝えると、やっぱりさすがに多すぎると。
目は心の窓。
心は、目には見えない。けれど、姿勢や目線、表情など様々なところに心は表れる。
また逆も然り、姿勢や目線、表情の通りに心は動く。
姿勢が崩れればやる気は湧いてこないだろうし、笑顔でいると広角は上がり楽しい気持ちになってくる。
鉛筆をくわえて(口角が下がる)漫画を読むチームと、鉛筆を噛んで(口角が上がる)漫画を読むチームとで分かれて感想聞く実験では、同じ漫画でも口角が上がった状態のチームの方が、その漫画をおもしろいと捉える回答が圧倒的に多かったそう。
話はそれたが、目は心の窓である。
目には心が移るし、目から入り込んだ景色で心は変わる。
座っているところにあるシロツメクサを見ていたら、いつの間にか心はそっちに向いてしまうものだ。
だから、顔を見るのだと。目と目が合うことで、心もその相手に向いてくる。
この「聴く」という力に関しては、その場で「聴くよ!」と声をかけても本質的な改善にはつながらない。
もぐらたたきのようになってしまう。言われなければ、顔が下がる。それの繰り返し。
これもまた、毎日毎時間の授業等の積み重ねである。
本質的な成長を見つめるのであれば、「聴く」というのはどういう状態であるかを指導すること、それにより自分にとっても相手にとってもどんなプラスが生まれるのか、またそれができていないとどんなもったいなさがあるのか。それをどんな言葉で届けると子どもたちの心に届くのか。確かにそうだよなという「共感」を超えて、行動しようという「納得」のレベルまでもっていけるのか。どのタイミングで伝えると腹落ちするのだろうか。それらを全て考えて、適切なタイミングで届く言葉で伝える積み重ねをすることで修正していく必要がある。また、その際により良い「聴く」という姿が見られたら、逃すことなくスポットライトを当て、認める。全体に「あの姿がより良いのか」と共有する。
地道ではあるが、こうして本質を耕す積み重ねを改めてしていこうと思った。
しかし、教師自身がどんなに事務的な話であれ、子どもたちの顔が下がるような話をしないように磨くべきであるのは一丁目一番地である。端的に、次の行動を明瞭に、具体的にイメージを共有し、抽象的にまとめる。そして、確認をする。そんな自分の指導を改める機会にもなった。
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