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(デザイン⑧)意味づくりとしてのデザイン ~文化人類学的視点

20世紀後半から世界はグローバル社会になった。多くの会社は国内から国外に目を向けるようになり、グローバル社会による恩恵を受けようと、競い合って国外に飛び出していった。
結果、私たちの生活もグローバル化の恩恵を受けてよくなった、ようにみえた。しかし21世紀になって、見えていなかったものが現れて、見えてきた。グローバル化がもたらす問題が浮き上がった。特に、文化の違いによる根深い問題が浮き上がった。

向こう側(発展途上国)の文化や価値観を認めず知ろうともせず、こちら側(先進国)の文化や価値観を一方的に押しつけたことが原因の一つ。意味とは何かでふれた対立の構造が、不満・不平・不信感・不安となってあふれ出した。それも、膨大な勢いで。

何度もふれたが、今までは見えなかったものが21世紀になって現れ出した。しかし実は、この問題は歴史の繰り返しである。欧米の大国が競い争って、アフリカや北米・南米大陸そしてアジアへの侵略していったことが、形を変えて繰り返されている。

20世紀の解決アプローチでは、これらの問題は解決できない。アインシュタインの名言「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない」にあるように、問題を生んだ20世紀の意識による解決アプローチではない、新しい視点からの解決アプローチが必要になる。

そこで、文化人類学者の研究アプローチの「より大きな文脈の中からパターンを見いだす」ことが、ビジネスの世界でも取り入れられるようになった。文化人類学者でもあるジュリアン・テットは、『サイロ・エフェクト』で文化人類学の必要性について次のように書いている。

2008年の金融危機から一つ明らかになったのは、金融や経済で重要なのは数字だけではないということだ。文化も同じように重要である。人がどのように組織をつくり、社会的ネットワークを形成し、世界を類別するかといったことは、政府や企業や経済が機能する仕組みに決定的に大きな影響を与える。だからこそ、こうした文化的側面をよく理解するのが大切であり、そこで役に立ちそうなのが人類学だ。
( P9より )

数字とは目に見えるもの、文化とは目に見えにくいもの。目に見えない、見えにくいものへ意識を向けること、そして理解しようとすることがいかに大切かを、人類学が21世紀のいろいろな問題の解決に役立つかを、この文章に込められている。文化人類学の研究アプローチの必要性について、次のようにある。

われわれはひどく複雑な世界に生きており、この複雑さに対処するには何らかの「体系化」が必要だ。
( P28より )
金融システムがあまりに細分化していたため、市場や銀行業界のどこにリスクが蓄積されているのか誰も俯瞰的に見ることができなくなっていたことだ。
( P29より )

複雑になりすぎた世界、何でも細分化して分類したがる世界。複雑に細分化されると、つながりの関係性がみえなくなる、いや、みなくなる。みえているのは、ごくごく一部それも限られた一部の領域にすぎない。多くは、みえていないし、みようともしない。
現代社会の問題をこの文章は表現しているだけでなく、その解決策として俯瞰的に体系化することについても語っている。

また本には “文化の翻訳家” という興味深いキーワードがあった。興味を覚えたのは、私自身 “訳し家” と名乗り、同じ翻訳の意味を込めていたから。なかなか周りからは理解されにくい “私のやってきたこと” を肯定してもらった気がし、勇気づけられた。文化の翻訳家の役割について、次のように書いている。

大企業に本当に必要なのはスペシャリストのサイロの間を行き来し、個々のサイロの内側にいる人々に他の場所では何が起きているかを伝える。
( P318より )

鍵は、二つの間を行き来すること。行き来するためには、両者の考え方がわかること、どちらかに偏らずしなやかに耳を傾けることが必要になってくる。中性的であり中庸的な姿勢(あり方)が求められる。後で話す “東洋思想” が、行き来することに大きく関わってくる。

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