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あなたの脳で世界を見たい

他人の目に見えている世界を見てみたい。

もっと正確に言うならば、他人の目というよりも、そのひとが「脳みそ」を通して、どう世界を「処理」しているのかを知りたい。

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私は電車と、大手家電量販店と、スーパーマーケットが苦手だ。

理由は「情報量が多すぎる」からだ。

電車には広告がたくさんある。
通路の上側、座席の上側、挙句の果てにはドアにまで。
広告、広告、広告だ。

広告には文字がある。その文字は、たいていの場合、大きく、読みやすく、目立つ色合いでドドドンと書かれている。化粧品などのおしゃれな広告でも、遠くから一応読めるように、文字が綺麗に流れている。

つまり、電車には遠目からでも読める文字が大量に存在するということだ。

次に、大手家電量販店とスーパーマーケット。
こういった場所は、たくさんの商品が溢れている。
そして、その商品には必ず値札がついている。
気合いが入っている店だと、ご丁寧な宣伝文句までついていたりもする。

ずらりと並んだ商品の中で、必要なものを探すとき、買う必要のないものの数々やお買い得情報・・・新しく発売されたもの、何曜日の大安売り、個性豊かな商品名・・・そういったものが私の邪魔をする。

買うものを探そうとすればするほど、大量の別の商品の情報が襲ってくる。

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広告まみれの電車で、あるいは、商品と値札が溢れる店で。

私はいつも「情報疲れ」を起こす。

私は、無意識に、視界に入る文字のすべてを読んでしまうのだ。
こう書くとなにかの能力っぽいが、別にカッコイイことではない。

ただ、ひたすら脳に情報が流れてくるのだ。
興味のない文章が、どんどん頭の中に入ってきて、脳は疲れていく。

前に、それを他人に話したら、「見なきゃ良いんじゃない?」と言われた。
窓の外の景色を見るとか、不必要なものが売られているコーナーは無視するとか、集中する部分を絞ればいいじゃないか、と。

私もそう思う。でも、情報は勝手に入ってくるのだ。
目を開けて、特定のものだけを見ようとしても、私の目は無意識に次から次へ別の文字にうつっていき、必要でない情報をどんどん拾っていく。
気分転換に外の景色を見れば、看板、看板、看板だ。
どうあがいても、結局、文字から逃げられない。

私はいつも「よくみんな、こんな世界で疲れないな」と思っていたが、「見なきゃ良い」と言った子の話を聞いてみると、なんのことはない、彼らは不必要な情報は無意識にぼやかして、世界をうまく処理しているらしい。

・・・そんな高機能、私の脳みそには搭載されていないぞ!!!

私が「情報疲れ」を回避するには、目を完全に閉じてしまうか、小説など特定のものに視界を集中させるか、文字を文字と認識しなくなるまで同じ店に何度も通い詰めるなどの必要がある。

だから、私は慣れ親しんだ場所から出るのは苦手だ
旅行なんかも得意ではない。新しい情報が多すぎて、とても疲れてしまう。
それ以上のワクワクや楽しみがないと、とてもじゃないが、新しい場所へは行く気になれない。

一方で、自然がたくさんある場所や、美術館は好きだ。

自然の風景や、絵画は、私の脳を疲れさせない。
フィルターを通すまでもなく、その情報は私の脳に優しく入ってくる。

多分、処理するプロセスが違うのだろう。
どんなに細かい線の絵でも、絵は絵としてバーン!と認識される。文字のように”追う”感覚がない。一枚の平面で、私に感動を与える。

だから私は絵が好きなんだろうか、と、この記事を書いていてちょっと思った。どうなんでしょうね。

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人間はすべて生き物で、個体ごとにそれぞれ差がある。
それは当然のことだ。

私のように、一定の能力に特化しすぎた人間も存在する。
それは強みにもなり得るし、”生きづらさ”にもなり得る。

私の「情報疲れ」するほどの視覚処理は、今まで「みんなと同じ」と思っていたが、どうやら違うようだ。私だけ、ではないとは思うけれど。

件の「見なきゃ良いんじゃない」とアドバイスをしてくれた子は、「それ(視覚処理に特化しすぎていること)は大変そうだ」と同情(?)してくれた。そうなんですよ、疲れるんですよ。わかってくれて大変ありがたい。

でもね、一個いいことあるんですよ。
小説を読むスピードは、結構早い自信がある。漫画ならさらに早い。
脳みそは疲れるので無限には読めないんだけどね。

人間誰しも一長一短。私の場合は「長すぎ」「短すぎ」が多いけど。
他人の脳みそで世界を見てみたい。泥水でした。

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