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ひかげのたいよう#7

“生まれて初めてやりたいことを見つけた私”

 どんな時も“あの人”の敷いたレールの上を歩んでいかざるを得ない人生だった。機嫌が悪ければことあるごとに叩かれ、失敗すればまた叩かれる。そもそも機嫌のいい時なんてないに等しい。些細なことがきっかけで怒られては叩かれ、殴られ、暴言を吐かれる毎日だった。言葉とは不思議なもので、同じことを何度も吹き込まれているうちに、本当にそう思い込んでしまうのだ。
ー私は役立たずだから、ウマレテコナケレバヨカッタなんて言われてしまうんだ。
 そんな虚像を、気づくと自分自身に重ねて見るようになっていた。けれどこんな私にも、役立たずな自分を忘れてしまうくらい夢中になれるものがあった。それが歌だ。いつでも何処でも歌っている幼い頃の姿が、今も記憶の中で存在感を放っている。歌は私の生活の一部だった。
 私が小学三年生になった年に、新任の音楽の先生がやってきて合唱団を立ち上げた。歌が好きな私が合唱団に入るのは当たり前のことのように思うかもしれないけれど、そこには揺るぎない想いがあった。あれは忘れもしない。ある劇団の舞台を鑑賞しに行った時のこと。劇も終盤に差し掛かった頃、あの劇中歌が会場中に響き渡った。孤独とは何かを知り始めた九歳の私に、その歌は強烈な印象を与えた。
『それがあなたの世界の全てだって思ってない?そんなのこれから生きていく人生のほんの一部でしかないよ。見たことのない素晴らしい世界があなたを待ってる。さぁ、一緒に行こう。』
 この日芽生えた感情が、これまで築き上げてきた世界をぐらぐらと揺さぶり始めた。どんなに悲しくても苦しくても乗り越えられてしまうほどの最強の仲間は、一体どこにいるのだろう。どれだけ探せば出会えるだろう。どこかで私を待っていてくれるのだろうか。当時の私にその答えはわからなかったけれど、舞台の上でライトを全身に浴び真っ直ぐ前を見て歌う劇団員たちの姿が、確実に私の生き方を変えた。この日が歌と私とを繋ぐ記念すべき日となったのだった。演劇を観た次の日、音楽の先生にあの歌を教えて欲しいと頼みに行った。楽譜をもらい、覚えた歌を何度も繰り返し歌った。歌っていると舞台の上で眩しいライトに照らされている自分が見えてくる。暇さえあれば歌っている私に、音楽の先生が
「そんなに歌うの好きなら、あんたも合唱団入りなさいよ。」
 そう声を掛けてくれたことで、私は合唱団に入ることを決めたのだ。”生まれて初めてやりたいことを見つけた私”は、練習には欠かさず参加した。練習が辛いと感じる時もあったけれど、有名な先生に歌い方を褒められると、そんな辛さなど何処かへ吹き飛んでしまった。合唱コンクールにも出場し、努力、緊張感、そして喜びや悔しさといった人生の彩りを肌で感じることができた。小学校生活の三年目以降は、そんな束の間の夢にどっぷりと浸かった四年間だった。
 しかしどれほど好きなことに没頭していたとしても、所詮そこは“あの人”が敷いたレールの上。歌に情熱を傾けた私も、中学受験という目の前に迫りくる大きな壁には太刀打ちできず、合唱団の練習に参加できなくなることが徐々に増えていった。放課後の時間は勉強に費やさなければならず、合唱団のみんなが音楽室へ向かう中、一人背を向けて家路を急いだ。行きたくもない方向へ進まなければならないその足取りは、いつもどこか寂しさを帯びていた。

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