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因人而异ーーあるべき「普通」、あってはならない「普通」

(1122字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)


【因人而异】

ピンイン:yīn rén ér yì
意味:人によって異なる。人それぞれ。


『あるべき「普通」、あってはならない「普通」』

 この記事が竹子としての最初のカミングアウトになるが、実は私はWAIS-III検査を受け、知能指数にひどいアンバランスが発覚された故に「ADHD&ASD傾向あり」と診断された者である。
 他の当事者方々と同じように、私も成長過程でよく「なぜ普通に出来ないの!」と言われ続けてきた。

 ずっと「普通って一体なんだろう」と考え続けてきた。

 一時はやきもきしてしまい「世界から『普通』が無くなれば良いのに」と思っていたこともあったが、大人になった今は「どんなに個性が尊重されようと、やはり『普通』は必要だ」と割り切れるようになった。

 ただし、全ての「普通」が許されるとは思っていない。
 あるべき「普通」と、あってはならない「普通」があるのだ。


 そもそも「普通」とは。
 私なりの解釈は、「大衆のほとんどが受け入れられるルールや認識」と捉えている。
 例えば大抵の人は昼に活動し、夜に休む。
 よって、「真夜中に大音量でロックを流す」というのは多くの人にとって不愉快なことになる。
 だから「普通はあり得ない」という表現をする。

 そんなルールや認識をまとめ、明文化したものが規則であったり法律であったりする。
 これらを守ることによって、よりスムーズな社会活動を保証している。

 明文化されていないルールもある。「暗黙の了解」ともいう。
 所謂「空気を読む」。「言われなくても分かるよね」的なやつだ。
 これがかなりやっかいで、多くが明確化出来ない故に捉え方によって人それぞれな解釈が生まれる。
 まさに「因人而异」なのだ。

 そして私の中では、この「因人而异」な「普通」はあってはならないと思っている。


 法律、例えば「殺人をしてはいけない」、「物を盗んではならない」というのは「因人而异」で片付けてはならない。
 それらはあるべき「普通」であって、定めておかないとそもそも社会が破綻してしまう。

 一方、「お昼はグループで囲んで食べるべき」だとか「卵かけご飯は必ず醤油をかけるべき」といったものは一部人間の好みや価値観に過ぎないので「因人而异」である。
 つまりあってはならない「普通」であり、これらについては互いに違いを尊重するべきだ。
 あたかも守るべき決まりのように扱ってしまうと、仲間外れが生まれたりいじめが出てくる。


 ただ現実はもっと複雑で、「因人而异」であるかどうか判別がつかない状況もあるのが確かだ(新しい文化が生まれた時とか特にそう)。
 そういう時は取り敢えず落ち着いて、みだりに「正しい!」「間違いだ!」と判断しないように気を付けよう。

 話し合ったり様子見したりして、「因人而异」と見なして良いかどうかをじっくり見極め、決めていくのだ。


📚一人一人が、特別で大切


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