注意されたとき、モヤモヤしてもいい。
注意されるのが大の苦手だ。仕事はもちろんのこと、日常生活でも注意されようものなら1件につき1〜2日くらい平気で落ち込む。
直近の例では、コインランドリーでうっかり洗濯カゴを机に置いてしまい、知らないおばさんに怒られて落ち込んだ(コインランドリーの机は洗濯物を畳む所なのでカゴを置いてはいけない)。
経緯としては「あの!すみません!」と声をかけられ、返事をするとお店の注意書きを指された。すぐに謝ってカゴを床に置き、それ以上言われることはなかったが、周りに人がいたため冷や汗をかいた。
もちろん、おばさんは悪くない。「言わなきゃ!」と思って知らない私に声をかけてくれたのだろうし、周りに人がいるから注意書きを指差して言ってくれたに違いない。
だから「ルールを破った私が悪いし、次から気をつけよう」と懸命に感情を切り替えようとするのだが、その後何をしていても注意された出来事が頭から離れなかった。
冴えない1日を終えて夫にそのことを話すと、やっぱり「そんなに気にしなくても」と一言。そうだよね〜、と相槌を打ちながら、私はなぜこんなにも些細な出来事を引きずるのか考えて……ある結論に辿り着いた。
「私、本当に思っていることをごまかそうとしている!」
今回の件で私が本当に思っていたことは、決して「教えてくれてありがとう」などという”いい子ちゃん”な感情ではなかった。
おばさんが私に注意したとき若干「満足げ」な顔をしたこと、あとで入ってきた男性客が同じことをしたのをガッツリ見ても注意しなかったこと(ガッツリが大事)。
「あんなしたり顔で注意してきたくせに、結局言いやすい人にしか言わないんかい!コラ!」
…と心の中で謎の関西弁が出てしまうくらい、おばさんに怒りがあった。
改めていうが、もちろんおばさんは悪くない。みんなが洗濯物を畳むところにカゴを置いてしまった私に100%非がある。
でも、そういう『常識』と『心の中』は必ずしもリンクしない。人間だからそれぞれに感情がある。『常識的には正しいけど、嫌な気持ちがした』というのは悪いことでもなんでもなく、心の正常な反応なのだ。
そう気づいて、「なるほど、私はこういうのが嫌だったんだな〜」と自分の『黒い感情』を認めたら、心がすっと軽くなって、この件は今日まですっかり忘れてしまっていた。
もちろん、反省や注意してくれた人への敬意を忘れてはいけない。自分が間違ったことをしたとき不貞腐れた態度を取って相手を不快な気持ちにさせるなどもっての外だ。
でも、心の中を”完全なる善人”にして感情にフタをしすぎるのはあまりにも苦しい。やりすぎると心の病気になってしまう(経験あり)。
仕事で上の人に注意されてもやっとするのは、態度に出さなければ「あの言い方は嫌だなあ」とか思っても全然いいのだ。
小さい頃、親や先生に褒められようと頑張りすぎた人ほど『黒い感情』を否定しまくる気がする。いいんだよ人間なんだから、と言いたい。
今回の記事について、一定数「お前が悪いんだから反省しろ!」とイライラする人もいると思う。申し訳ない。あくまで心の中の話で、反省してないわけじゃないので許してほしい。
注意されないのが一番いいけど、人間は間違えるもの。反省しすぎる人は感情のパーセンテージを増やしてバランスをとると生きるのが楽になるような気がした。
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