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人は人に傷つき、人に癒される

今日は、職場である就労支援施設で奇跡が起こりまくった1日だった。

✳︎奇跡 その1✳︎

夜な夜な家で練習している成果が出始めたのか、私は最近着物の帯を結べるようになった。

今日もいつものように利用者さんと一緒に着物を着る練習をしていると、ある利用者さんが、私が帯を結びながら手順を解説する様子を動画に撮り、「これ見てお家で練習してきます!」と言ってくれた。実はこれ、利用者さんの病歴を鑑みると、なにげにすごい事。

『アルプスの少女ハイジ』の漫画で例えると「クララが立った!!!」的なやつ。まだまだ慎重に長い目で見る必要はあるけど、少なくともその瞬間は✨やる気スイッチ✨が入ったって事でとても嬉しい😆

✳︎奇跡 その2✳︎

少し前から数年間なかなか誰にも心を開かないと言われていたある自閉症の利用者さんの担当になった。自閉症の特性はもちろん知っている。

でも「自閉症スペクトラム」と言う位なので個人差が大きいし、この方の場合、自閉症だからといって最初と最後の挨拶以外、本当に全て一人で過ごしたいと思ってるのかな?その接し方で「ここは私の居場所だ」と感じられているのかなぁ?との思いもあり、私が担当になって以来はコンディションを見ながら敢えて少し話しかけたり、絡むようにしていた。

すると今日初めて自ら話しかけてきてくれた。
うれしい。うれしすぎる。(感涙😂)

✳︎私にはネガティブな過去があるから、今がある✳︎

ちょうど一年前、私は職場でパワハラにあったり、上司から事実に反する「あの人もこの人もあなたと働きたくないと言ってきている」(退職後、直接本人とやりとりし、後に嘘だと判明)などの事を連日言われて人間不信になったり、密室で何時間も詰められたりして体調を崩し、会社を辞めた。

そして今、お風呂に入ってボーッとしたりしていると「たまたま私は調子を取り戻したから、パワハラに遭ったことが転機となって今こうしてスタッフをやっているけれど、もし何か一つ違えば私が利用者としてあそこにいても全然不思議じゃないんだよな」と、たまに思う。

カウンセリングの持つ「ちから」

行政や利用者の家族や医師などと現実的な所でバチバチやりあっている精神福祉の世界にいると「カウンセリングって、どうせ話を聞くだけでしょう?瞬間的にはスッキリさせられても、カウンセラーには現実を変える力は無いでしょう?」などと言われる事もしばしばある。そう言われてしまうと私も「実際、カウンセリングはクライエントの言語や物事を掘り下げる能力に依存する面も大きいから、くやしいけど否定出来ないかも・・?」と思いそうになる事もある。

今の私は、カウンセラーとしてカウンセリングの時間をとってお話を聞くわけではない。けれど実は一緒に作業をしたり、社会復帰のためのリハビリとして、仕事をお願いしたりお手伝いしてもらう中で、結構戦略的に利用者さん一人一人の日々のコンディションを見ながら使い分けてお喋りしたり、敢えて話しかけずに見守るにとどめたり、すれ違いざまでも一言二言の声かけをしたり、状況や人を見て自己開示したり、モデリングになるような振る舞いや、頼ったりお願いする形をとりながら気付くか気づかないかレベルのゆるーい認知行動療法を取り入れたり、実は結構地味に色々やっている。

とは言えやっぱり結局は本当に喋ることと聞くことと振る舞いだけなので、私が物理的に直接何かやってあげているわけじゃない。そしてその過程も結果も目で見ることは、なかなか難しいし、心理学の知識がある人でないと単なるお喋りにしか見えないんだろうなぁ、と思う。

けれど今回のように本人の潜在能力を信じて言葉かけしたり接しかたを工夫することで、本人の捉え方や行動が実際に変わる瞬間を目の当たりにすると、改めてカウンセリングって奥が深いんだなぁ、と思う。そしてだからこそ、改めて慎重にやらないとなと思うし、もっと勉強したいと思う。

時に人は人に傷つく。でも人と関わる事でお互い癒される事もある。
今、この仕事をしていて、ひしひしと感じる。

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