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昭和10年代の台湾-屏東のオーパーツ

屏東市若松町の中に見本蕃屋なるものがあってここで蕃人と会う事が出来ると云うので見てみる事にした。南湾の蕃人には貴族と称する頭目と平民の二種があり、大武山岳に大小多数の蕃社がある。見本蕃屋に居る蕃人は自分を平民出身であると云い、農業は幼稚であるが工芸を好むので民藝数寄であれば着目すると好いと云い、傍らの蕃女が身に付ける瑠璃玉を見せびらかしてきた。蕃人は朗々たる日本語で身上話を語る。自分は今上天皇陛下がまだ東宮におわしました頃台糖を行啓せされた時に御下問を賜る光栄を得たと云い、無窮の皇徳に浴する感涙を語るも、其の舌の根の乾かぬ内に今度はコーヒ豆を売りつけに来たのだった。此の豆は金槌で潰し、濾袋に入れ、湯で通し、砂糖を入れて飲むと旨いと何度も云い、要らないと云うと今度は日本語が解からないと返されホトホト困る。結局二袋買った。

(『昭和丙子(1936)台湾屏東之旅』より)

今日の話は筆者と見本蕃屋にいる蕃人とのやり取りです。屏東であることから、ここに出てくる蕃人はパイワン族と思われますが、それにしても「朗々たる日本語」たることが容易に推測できる話術の高さ、モノを売りつけるために天皇陛下の「無窮の皇徳」まで引き合いに出すあたり、この蕃人、只者ではありません。
もし彼が現代に生きていたら、おそらくネトウヨたちに対して大量に台日友好グッズを売りつけているかもしれません。

屏東のコーヒー

当時の台湾ではコーヒーが栽培されていました。台湾産のコーヒーというと、大正天皇即位式典で出されたコーヒーに屏東産(正確には恒春産)が用いられたという記録が残っていますが、生産量は少なく、現在でもインターネットで買える台湾のコーヒーはマイクロ・ロット生産によるものばかりです。改めて当時の『台湾鉄道旅行案内』巻末の土産ものの項目を読んでいたのですが、コーヒーについてはまったく見当たりません。

屏東市青島街

現在、屏東市は喫茶店の街として知られています。屏東駅から若干遠いのですが、日本軍隊の宿舎があった青島街のあたりはリノベーションが進み、台湾産コーヒーが飲めるコーヒーショップが軒を連ねています。

パイワン族の蜻蛉玉

瑠璃玉は婚礼結納に用いると云い、優秀なる瑠璃玉を製造する名匠は初夜権を持つと云う。また此の後歌垣や初夜の楽しい話をしてやると云いながら丁度好い処で話を切り、続きを聞きたければ煙草だか檳榔だかを要求するのだった。

(『昭和丙子(1936)台湾屏東之旅』より)

パイワン族の瑠璃玉(蜻蛉玉)は有名で、台湾大学のコレクションによると、当時のパイワン族は古代フェニキアやヴェネチアの蜻蛉玉まで所有していたことが確認できます。
ただ、そもそも当時のパイワン族は蜻蛉玉を作っていなかったといわれています。前述した『台湾鉄道旅行案内』巻末の土産ものの項目を読んでいると、ここにはわざわざ「古代トンボ玉」とあり、「蕃人の工芸品」の項目には書かれていません。厳密にわけられているわけです。
当時の蜻蛉玉はトレードアイテムであり、とりわけできばえのよい蜻蛉玉は奴隷と交換したという言い伝えが残っています。文中にある名匠の初夜権はこのへんの聞きかじりかもしれませんが、どちらにしてもこの記録は全体的に過激なエロ話が多く、読むにつけて「はて?」と思うことがあります。

たとえば、「歌垣」という日本語は当時の日本人でもさほど知られていなかったと思われるのですが、蕃人の口から出てくるのはちょっとあやしい。

それにしてもこの蕃人の話術は達者です。「続きはCMの後で」というテレビ番組の手法が導入される半世紀以上も前の話ですし、彼がもし『私はどうやって日本語を獲得していったか』というたぐいの本を出していたら読んでみたいと思います。

日本人の識字率

ところで、台湾先住民のことを蕃人と言っていた時代、彼ら彼女らはカタカナくらいしかろくに書けない存在として上から目線で蔑視していた日本人が相当に多かったことが推測できます。

ただ、文字がろくに読めないというのは蕃人に限った話ではありませんでした。昭和初期の日本人男女の識字率もたいがいに低く、七十代以上の高齢者は江戸時代の生まれでした。昭和初期の日本の田舎では、子供の家事として「文字の読めない明治生まれの親の前で子供が新聞記事を読みあげる」というものがありました。「小さい子供に難しい漢字は読めないのではないか」という心配があるかもしれませんが、当時の日本の新聞には多くのルビがふられていました。そのルビがなくなったのは国家総動員法が施行され、ルビ用の活字が不要不急の金属とみなされて供出されたためです。
ちなみにこの家事は、ラジオ放送が全国に浸透してからいつしか消滅していったようです。

蕃人の話は続きます。実はこのコーヒーが劣悪きわまりない品質だったので抗議しに行ったのですが、今度は蕃人親子からとんでもないカウンターパンチを食らってしまう話です。

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